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2010年10月22日 (金)

10月22日の易経からのメッセージ【離為火りいか・5爻】涙も嘆息も、自身の力弱きを知っているからこそ。それでこそ、身を保ち、心がけたことを手放さずにすみ、吉と変じる。

外は冷たい雨が降りそぼっています。

奄美大島の大雨被害の情報に驚きました。観測史上初めてということが今年はよく耳目に入りましたが、奄美の雨も昨日の報道によれば、三日間で600㎜~700㎜超だとか。すごい雨量です。

秋雨前線と台風の影響だそうですが、今頃秋雨前線?なのでしょうか?あれもこれも、ちょっとずつ季節がずれていて、変です。

今日も降り続ける雨に、奄美のみなさんはどんなに心細い思いをなさっていられることでしょう。一日も早く復興の作業ができますように祈っています。被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。

奄美のニュースに心を奪われたのには、訳があります。

9月の忙しいさなかに、千葉市美術館で開催されていた「田中一村 新たなる全貌」という展覧会に出かけました。そのとき注文した画集がこの火曜日に届いて、このところ開いては眺め、開いては眺めしていたからです。

画集は、くんぷう婆の癒しのツールになって、今も心を慰めてくれています。

一村はご存じの通り、奄美に暮らし、奄美の絵を描いて(ご存命中は展覧会はなかったとか)、その絵の熱気や生気に感動した人々によって、死後に有名になった画家です。「アダン」という映画も見に行きました。

奄美の海と風物が混然一体となった作品のエネルギーに圧倒されます。

展覧会では、幼少期よりその天才が発揮された作品の数々が並べられていて、千葉に住んでいたころの日本画にも心惹かれました。特に千葉の農村風景がまったりと穏やかで見ているだけで昭和初期の時空間に立っているような気持ちになり、奄美の絵とは違った感動があります。

中学生の頃からの絵を見ると、激しく勢いよく縦に流れる線が印象的で、有名になった奄美の作品の数々の原点を感じ、自分の描きたい対象に出会った一村は芸術家としては幸せだったんだろうなあ、と思いました。

認められようと認められまいと、描いて描いて描き死んだ絵描きさんの一生を思うと、凡人の自分にはできないからこそ、好きなものに没入、自己を投げ出すその姿が心に迫ってくるのでしょう。

できないけど、あこがれはある。

最も感動したのは「アダンの海辺」という作品です。衆目の一致するところなのでしょう。画集の表紙になっています。でも、印刷して小さく収まった絵には、本物の持つ生のエネルギーが感じられないで、ただその装飾性が目立つだけ。

生(なま)の絵は、浜辺の小石の一つ一つが描き込まれ、波は命を持って動いているようでした。寄せ来る波の音が聞こえそうな、今そこに見えている海という臨場感がありました。

奄美という環境にであった一村さん。その一村が愛した奄美の皆さんが今お苦しみになっていると思うと、お気の毒でたまりません。

奄美は、くんぷう婆の行ってみたい場所のナンバーワンなところです。何回か実際に計画を立て、行く寸前までになりましたが、切符が手に入らないとか、日程の余裕がないとかで流れてしまいました。

いつか、必ず。

さて、今日の易占いです。

なかなか、解説に到達しないですみません。

お天気と正反対の、明るい日が二つ重なる【離為火】は物事が付着してる様子を表しています。

いったん付き従った道に、心正しく、牝牛のように柔順に従っているなら、やがて通るという卦です。

冒頭に書いた一村のことを、ここで思い浮かべて、「ああ、そういうことか。」と腑に落ちました。

易を立て、卦を得た時には「こんな雨の日に、晴天の卦をいただいても・・・」と思い、また「お勤めの頃には、何かしらシンクロする事象を思い浮かべることもできたけど、今日は何もないなあ。」・・・と心弾まず、・・・とりあえず頭にあった奄美のことを書いていました。

でも、解説書き始めるとすぐに思い至りました。

そうです。着いた仕事、志した事柄から離れず一心にやっていくしかないというメッセージだったのです。

今日は5爻。君主の位置にいて、陰の卦。力不足で周りの元気に圧倒されっぱなし。涙を出して嘆き苦しんでいるが、かえってそれがよい。自分の目的を離さずにいたら、助力も得て吉。

卦辞、爻辞は過去記事でどうぞ。

今日も一日、好い日でありますように。

くんぷう

不思議な卦です。【離】は明るい火(日)が二つ重なっている。しかし火の卦は上下が陽で、中心(中正)の爻が陰なのです。Cocolog_oekaki_2010_10_22_11_14

だから、明るいと言いながら、2爻や5爻は陰で力が弱い。そこで柔順であったり謙虚であったり、積極的ではありません。それでいてラッキー。中心は控えめにして、柔らかく明徳を発揮すればよろしいようです。

5爻の今日は、陰です。力のない自分が主役となっていて、これでいいのかと心配です。恐れたり悲しんだりしています。でもそういう態度だからかえって、いいのだよと教えてくださっています。

「いけ、いけ。」は運命を切り拓くのに、好都合とばかりもいえないようです。このように恐れ慎むほうが、物事はよく通ると、今日の卦は言っています。不思議なようでさもありなんです。特に火が重なり、並び着いているときには、慎重にすることが大事。

原子力発電所など、恐れ懼れて、その上にも畏れて、警戒・危機管理をしてようやく、稼動できるのでちょうどなんでしょうね。

離為火】離は貞に利(よろ)し。牝牛(ひんぎゅう・めうし)を畜(やしな)えば吉。

牝牛を畜うとは、柔順さを磨くということです。

その5爻。涕(なみだ)を出すこと沱若(たじゃく=涙ぽろぽろの様子)たり。戚(いたむ)こと嗟若(さじゃく=嘆いている様子)たり。吉。

涙を流すほど悲しみ、恐れ嘆いているが、それで吉。そのような態度ならその立場を守ることができる。

嘆いてみても始まらないと、強がりを言うのではなくて、嘆くこと、悲しむこと、柔順に従うことを大事にしてみませんか?そのような心の有様を認めましょう。

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くんぷうさんの、ともいきブックス

  • 責任編集 熊谷晋一郎: 当事者研究をはじめよう (臨床心理学 増刊第11号)

    責任編集 熊谷晋一郎: 当事者研究をはじめよう (臨床心理学 増刊第11号)
    届いたばかりの雑誌を一気読みしました。 この本で取り上げられている当事者とは、アルコール依存症、薬物依存症、身体障害(難病)、発達障害、摂食障害などの環境からくる困りごとや、主体としての生きづらさを抱えている人達です。著者の多くは当事者であり、回復者であり、支援者であり、研究者であり、発言能力の高い人々です。セルフヘルプ(自助グループ)といわず「研究」ということで、自分の困りごとが外在化され、また研究は他者と共有でき、発信できるので力の回復になるのかと思います。当事者研究を身近なところで身近な仲間たちと始められるとよいですね。そのために「当事者研究をはじめよう」と呼びかけている今号です。『臨床心理学増刊』という心理学の専門雑誌が『みんなの当事者研究』『当事者研究と専門知』と特集を組み今回第3弾が最終回とのこと。3号続けて読んで、今号の読後感想は、議論されていることはもっともだけど、皆さんが知的能力の高い人達。先往く人として道を拓いていってほしいですが、そこにたどり着けない地べたを這うような人々の存在を忘れてはいけないと思いました。そのような多重の苦しみを抱えた方とカウンセリングしたり(くんぷうのカウンセリングは安いです)、幼児保育や教育の現場で出会ったり、また障害に関する本を仲間で読みあったりする中で培ったおもいです。 さて、自分自身のこと。25年前に地元でセルフヘルプグループ(自助グループ)を小人数で始めました。その時の主旨は「私のことは私が当事者」ということでした。家族や仕事の問題に悩みながらも、まずはこの自分。私自身を私が助けようということでした。もし、そこを深く掘り下げていったら、○○障害であったり、○○依存症であったりする自分や家族がいたかもしれません。当事者研究という言葉に深く惹かれるものがあるのは、そのせいなのかと思います。

  • ドリアン助川: 線量計と奥の細道

    ドリアン助川: 線量計と奥の細道
    昨年のうちに読んでいたのに、取り上げるのが遅くなりました。書こう書こうと思っているので、常に作業机の脇に置いてあるんだけど、いつも慌ただしくて丁寧に文が書けない気分なのです。 『山海記(せんがいき)』同様に紀行文学の流れを汲みながら、3・11を刻印づけて後世に残る作品になるのではと思います。2018年に出版されましたが、作者が奥の細道をたどる自転車の旅をしたのは2012年8月からです。そうです、震災の次の年。まだ原発事故の恐ろしさが人々の生活の中に生々しく残っているとき。その時に思い立って、線量計を自転車のハンドルに付けたバッグに入れて、芭蕉がたどった道を江戸から陸奥(みちのく)へ、ぐるっと回って北陸から琵琶湖、関ヶ原、桑名までの旅です。道中の歌枕や史跡の名称を一つ一つ挙げると、なにかしら懐かしく思ってしまう私たちです。芭蕉も先人たちの歌枕を追って旅しました。ドリアンさんはその芭蕉を追いかけながら、震災から1年半の道を自転車単独行で旅したのです。那須の農場で、線量を書くことが良いのかどうか悩みます。子ども達の施設の傍らに、除染したという放射能まみれの土がブルーシートにただ覆われているだけで放置されている現状に戦慄します。福島のこと、あれこれ読んだり聞いたりしてきましたけど、この本で描かれている光景の多くはしりませんでした。それは、それぞれ独自で単一の日常の生活空間の中で、旅をしながら出会っていった現実なのです。また、旅をしたのが12年、上梓されたのは18年。作中にも書かれていますが、どこそこが何マイクロシーベルトだと記すには相当のためらいがあったことでしょう。今でも風評被害が言われています。(風評どころでない生活を侵害されている被害が現実に続いています)福島に関わりたくない、もう考えたくもないという人々が多く存在している(そのように持って行かれた)こともまた現実です。出版されて、この本を手にすることができて良かったと思います。 この本はでも、放射能事故後の現実を知らせるためだけに書かれた本ではないと思います。詩人の感性がその現実の中の旅を欲していた。芭蕉だったらどう見るか、どう旅するか?そこを体験したかったのではないでしょうか? 旅の面白さ、旅で出会う人々との交流の面白さを存分に味わえます。随所で「ドリアンさん、いい人だなあ。ドリアンさんの友達いいなあ」とほっこりします。この旅を追いかけてみたいと思います。ドリアン助川は、やはり西行や芭蕉に連なる歌詠み人だなあ。

  • 佐伯 一麦: 山海記

    佐伯 一麦: 山海記
    日本一長い路線バスの旅のエッセイ?と思いきや、登場人物「彼」を主人公にした物語?かもしれない。どこまでがリアルな旅の記録なのか、どこにフィクションが挟まっているのか?私はまるで、作者が「彼」のように思え、なおかつ彼のバス旅に同行している気分で読んだ。実は大和八木から新宮に至るこのバス路線の旅に以前からあこがれていて、いつか近い将来に必ず行くと思い定めていたルートであったからでもあり、主人公の旅の動機が、東日本大震災とその年に起った紀伊半島の大水害の記憶を遡る旅でもあったからでもある。「彼」は、青年時代からの親友の死を受け入れがたく、なぜか水害が刻印されている奈良県十津川沿いの路線バスの旅に出る。あの大震災の時、仙台で被災し直接津波の影響は受けなかったものの、生活の上では大きな被災であった。日本人と災害について思考を巡らせているうちに、この路線にたどり着く。思いが旅を呼ぶというしくみは、芭蕉、西行を思い起すまでもなく、この列島に暮らすある種の人間の根っこの部分に組み込まれているようにおもう。淡々とバス停の地名とその土地の(十津川の水害、北海道への移民、天誅組、南朝などの)人々の生活や歴史と、バスに乗り合わせた乗客や運転手の動向が描かれてきた作品は、ちょうど路線の半ばにさしかかる谷瀬のつり橋でクライマックスに至る。つり橋の揺らぎの中で受け入れることができなかった友人の死を受け入れ、そして自分自身の受け入れがたい被虐待の記憶が重なってくる。…こんな紹介をしていたら、何文字かいてもこの本の真実にいたらない。作品は(バスの旅)は、唐突に中断される。きっと続きが書かれているだろうと期待している。その作品にならって、私もここで中断しよう。土地と時間と気象の深い絡まりの中で、人は生きている。書くことと旅することのなんと深い世界だろうか。

  • 木ノ戸昌幸: まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験

    木ノ戸昌幸: まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験
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  • 東畑 開人: 野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

    東畑 開人: 野の医者は笑う: 心の治療とは何か?
    この本を見つけたときは、興奮しました。私と同じようなことを考えている人がいる!でもって語り口もフィールドワークの対象となっている沖縄のヒーリング&セラピー界隈の事情も面白くて一気読みしました。科学的なお墨付きを得ていない方法で癒しに関わっている人達を「野の医者」と定義して、癒しの施療を受けながら、実地調査した(どこかからの助成金で)成果物としてまとめた本です(論文もどこかにあるでしょうけど、この1冊で十分です)読み終えて心に残ったことは、野の医者は傷ついたヒーラーであるということ。当たり前の話です。医者も看護師も心理士もそういった人が多いですし、私自身もそうです。本文でも、フロイトやユングにもふれられています。そうは言いながら、経済論理が大きくありようを決めていることが述べられています。「経済的に豊かになるために開業した」と書かれている野の医者さん達ですが、ちゃんとした就職口を得るために臨床心理士になる人とどこが違うのでしょうね?沖縄のユタの癒しについては踏み込んでいません。心に残ったのは自由な発想でプリコラージュした技法の面白さです。野の医者業界の古参の人たちには、河合隼雄さんの影響が残っているという点も面白かった。 著者は臨床心理士で、大学でも教えていらっしゃいますし、東京の一等地でセラピールームを開いてもいらっしゃるようですから、私からみたら野の医者とはとても言えない方ですが、お金さえかければアクセスできるというのは野の医者業界に近い在り方かもしれません。京都大学で臨床心理学を修められた正統派セラピストです。読み終えて、この本に出合った時の興奮は冷めていました。科学的と定義することのむなしさが残っています。

  • 津田 真人: 「ポリヴェーガル理論」を読む -からだ・こころ・社会-

    津田 真人: 「ポリヴェーガル理論」を読む -からだ・こころ・社会-
    最近のニュースに接すると、個人が「自分のからだとこころと社会」につながることを失ってしまった現代社会の悲劇のように思えて、関係者どなたにも痛ましい思いが湧きます。そういった現代日本の社会にシンクロ的に「今でしょ」としてこの本が上梓されたと思います。届いたばかりの新しい本を紹介します。1年をかけて読めたらよいなあと思います。著者は社会学を研究した学究ですが、鍼灸・あんま・マッサージ師、精神保健福祉士、ゲシュタルトセラピストなど複数の顔を持つ現代随一の治療家です。副題に「こころ・からだ・社会」とあるように、からだやこころを元気にするために社会(3者性のつながり)まで視野に入れて関わることの重要性と意味を、この本でつたえてくれていると思います。まだ、〈凡例〉と〈はじめに〉しか読んでいないのですが、わくわくしています。複雑で難解な「ポリヴェーガル(多重迷走神経)理論」はトラウマやストレスの治療には欠かせない手がかりを与えてくれるものとして世界中から注目されています。ストレスの「逃げるか戦うか反応」以外に第3の反応として、フリーズ反応があるということ、それをどう扱うかという視点を生物の脳の進化を背景にした神経理論として伝えてくれているのです。今、カウンセリングの中でも「フリーズ≒解離」を扱わないでは進まないケースが多いです。その難解な理論を著者がどう読み解いたのか、どう解釈してこれからの治療や社会につなげていくのか、難しいのに(聞きなれない専門用語が多い)、すらすらと読み進めて行けそうです。著者が面白がりながら、誠実に読み解いていくその頭の活動をすべて文字に起こしてくださったような本です。ワクワク感が伝染しそうで楽しみです。

  • 東山 彰良: 僕が殺した人と僕を殺した人

    東山 彰良: 僕が殺した人と僕を殺した人
    「1984年。私たちは13歳だった。」台湾を舞台にした3人の少年たちの友情と、30年後の連続殺人事件。描かれた少年たちも取り巻く大人たちも、街の風景も南国の熱風に蒸されたように熱い。この作家の書く濃密な人間関係と活気に惹かれて、私は、読む。ほとんど一気読みに近い、疾走感がたまらない。サスペンスドラマは見ないんだけど…。読者の脳内に映像が流れる。もうすっかり日本の暮らしからは失われてしまった、互いに深くかかわりあう関係性に郷愁を覚える。

  • ドリアン助川: 新宿の猫

    ドリアン助川: 新宿の猫
    僕は、色弱であることを理由に希望するマスコミや映像業・広告の業界からは「色覚異常受験不可」で門前払いをされ、アルバイトしながら食いつないでいた。テレビのバラエティ番組の構成作家に拾われて見習いとしての修業を始めたけど、世間と相いれない気持ちも出てきて落ち着かない。唯一、新宿ゴールデン街の古くて狭いバーで、ホッピーを飲みながら、「猫じゃん」というギャンブルに興じている仲間たちと、猫の家族図を描いたアルバイトの女の子夢ちゃんと過ごす時間には、ヒリヒリした気分から解放され落ち着ける。新宿という町と猫たちへの愛があふれ、夢ちゃんと僕とのエレジー。挿入詩が平易な言葉で奥深い。猫好きにはたまらない。

  • 池上 英子: 自閉症という知性 (NHK出版新書 580)

    池上 英子: 自閉症という知性 (NHK出版新書 580)
    自閉症と言う言葉で印象付けられたイメージってどんなものでしょう?コミュニケーションが苦手?感覚が過敏?こだわりがある?想像力の障害がある?そんなマイナスイメージと共に、障害があって生きづらさを抱えていて、少数派であることにつらい思いをしている人っていうような社会的弱者なイメージを持っている人も多いかと思います。この本を読むと、そんな世間一般の自閉症当事者の「かわいそうな人」イメージが、一方的な見方でしかないことに気づかされます。視覚優位な認知特性を持つ人や、聴覚や嗅覚などの感受性の強い人たちの脳内奥深くで繰り広げられる、この世界の把握の仕方、知性の発露の仕方がどんなに広くて深いか、日米の事例を通して描かれています。カウンセリングや発達支援の現場で日々に出会う大人や子どもさんの姿を思い浮かべながら読みました。日本語で書かれた本ですが、著者はニューヨーク在住の社会学者。

  • 寺澤 捷年: 和漢診療学――あたらしい漢方 (岩波新書)

    寺澤 捷年: 和漢診療学――あたらしい漢方 (岩波新書)
    西洋医学で神経内科学や中枢神経解剖学を修めた著者は、一方で若いころから身近であった漢方医学も研究してきた。アナログの漢方医学(とデジタル(心身二元論)の西洋医学を融合させた医学を「和漢診療学」という体系で実践と研究をされてきた。その集大成をこれから医学を志す若者に伝えたいとの志で編まれたこの新書。圧巻は、西洋医学では不定愁訴としてしか扱われなかった、でも患者にとっては辛い様々な症例を漢方薬で軽くして行く症例報告と最先端の脳神経科学や薬理学で裏打ちされた解説が併せて述べられているところである。糖尿病や高血圧などストレス性の数々の症状について納得がいく。読んでもよくわからないのは、漢方、処方と言う時の方、とその人の体の状態を証としてみる方証相対論という部分である。勝手に薬局に行って何とかという漢方薬を買うのではいけないな、今度漢方医にかかってみようと思い立った。明治維新に捨ててきた数々の文化的な知恵や知見の大切さが実感された。温故知新、素晴らしい哉。

  • 濱口 瑛士: 書くことと描くこと -ディスレクシアだからこそできること-

    濱口 瑛士: 書くことと描くこと -ディスレクシアだからこそできること-
    著者は、東大先端研の「異才発掘プロジェクトROCKET]第1期スカラー生。ディスレクシア(読み書き障害)であった彼にとって、学校生活はどんなにか苦しかったことでしょう。音読と漢字テストが日常風景で、できないとみんなの前で馬鹿にされる。何より本人が苦痛を感じているのに、誰もその苦痛に配慮しない。今も日本中で苦しむ人たちがいることに気づいていきたい。本書は、12歳の時に「黒板に描けなかった夢~12歳学校からはみ出した少年画家の内なる世界」を世に問うた著者の2冊目の画集。第1部「書けなくたって、よめなくたって」で描かれたディスレクシアの世界、素晴らしいです。よーく伝わります。「そうだったのか!」。第2部の作品集。癒されます。不思議な味わい。繰り返しの多い、しかし丁寧な筆致で柔らく描かれた瑛士ワールド。特別付録児童憲章をカタチに。この本は図書館の7(芸術)の棚にありました。絵本として出版して、子どもやヤングの棚に並べてほしい。

  • 安田 菜津紀: しあわせの牛乳 (ポプラ社ノンフィクション―生きかた)

    安田 菜津紀: しあわせの牛乳 (ポプラ社ノンフィクション―生きかた)
    岩手県岩泉市にある中洞(なかほら)牧場は、日本では珍しい完全放し飼いの牧場です。この飼い方を山地酪農と言うそうです。森や山の中で自然に育った(手入れはされています。芝や牧草の栽培もされていますが、農薬は使わない。肥料は牛たちの糞とそれを分解してくれる生き物たちの排泄物、落ち葉など)そこでは、牛たちは自由に歩き、遊び、食べ、寝て、水は谷川や池に来て自由に飲みます。子牛はお母さんのおっぱいが飲めます。そんな幸せな暮らしをしている牛たちの牛乳はとても美味しい。濃厚飼料を使わないのでちょっぴり乳脂肪が少ないそう。こんな夢みたいな酪農が実現したのは、中洞さんが小さいころからあこがれていた緑の山地・自然の中で牛を飼うということを実現させるための苦難と工夫があったからなのです。小学校中級から読めます。東京にいて、ここの牛乳飲めるかな?と調べてみたら通販サイトで買えるみたいです。

  • 広瀬 宏之: 発達障害支援のコツ

    広瀬 宏之: 発達障害支援のコツ
    著者は児童精神科医。本書は神奈川LD協会冬のセミナー2018「発達障害を支援するための基本の手引き」の講演録に加筆したものと、あとがきにあります。内容は専門的な最新の知見をもとに、医者やセラピストなどの治療者にも、保育や教育の支援者にも、家族や大人の当事者にもわかりやすいものとなっています。言葉の一つ一つが含蓄があって深いんです。一日1ページ、開いたところを読んで、今日のセラピーに活かしています。例えば「グレーゾーンと言う言葉」では、「グレーゾーンと言う言葉は非常に危険です。支援が必要な人はグレーゾーンではないんです」「グレーゾーンだから支援をしないで様子を見ていて不適応が嵩じていってしまうのが一番避けたいパターンです」とあります。この子(人)にどんな支援が必要なのか見抜く目を持ちたいです。

  • マイケル モーパーゴ: 希望の海へ

    マイケル モーパーゴ: 希望の海へ
    現代イギリス児童文学を代表する作家の作品。背景には、オーストラリアへの強制的な児童移民の歴史がある。第二次世界大戦後の戦災孤児アーサーは訳が分からないままに、オーストラリアに送られた。イギリスを発つ前に孤児院で姉のキティと別れる時一つの鍵を首にかけてもらったことが、自分自身が確かに生まれてきて存在していた、姉もいたという証となっている。この物語は2部仕立てで、前半はアーサーが書き残した自分史ノートの物語。オーストラリアでは、奴隷的な労働が待っていた。悲惨な生活から兄とも慕うマーティと共に逃げ出し、孤児となった野生動物を救済しているメグズおばさんに拾われた。ヨットを作る船大工の仕事をしたり、漁船に乗ったりした後、ベトナム戦争に従軍し心にダメージを受けて帰還した。病院で出会ったクレタ島からの移民を父に持つナースのジータと出会い幸せな家庭を築くまでの物語。第2部はアーサー亡き後、娘のアリー(18歳の少女)が父が作った決して沈まない小型ヨット・キティ4号に乗ってオーストラリアからイギリスまで地球半周の単独航海をする物語。父の鍵を首に幾多の困難をかいくぐりイギリスに到着し、鍵の謎とキティに出会うまでが、現代の物語らしく、メールやインターネットでの情報発信、宇宙飛行士等が登場して物語を支える。モーパーゴの物語は最後までぐいぐいひきつけながら声高ではないが、人の生き方の多様性を伝えて夢中にさせる。ヤングに読んでほしい。

  • ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)

    ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)
    この本は、2017年、ミステリー専門のエドガー賞児童図書部門を受賞しました。主人公ダニエルと共に殺人事件かもしれない謎に挑戦してワクワクしながら読み進めていけます。しかし、単純な謎解き物語ではなく、全編を覆っているのは、OCDの症状から逃れられない苦しみです。不安があると寝る前に2時間でも3時間でも儀式と呼ばれる強迫行為をしなければ就眠できないのです。ダニエルが「ザップ」と呼ぶ強迫観念が侵入してきて「○○をしろ。ダメだ。やり直せ」と命令し、ダニエルは手洗いやスイッチのオンオフ、歯磨きなどを繰り返しせざるを得ません。不合理と分かっていても止めることができません。涙を流しながら、し続ける苦悩がリアルに描かれています。作者もこの症状に苦しんだ当事者だそうです。 13歳のダニエルは、アメフトをやっているけど、とても自信がありません。蹴るだけや走るだけならできるのですが、試合でキックをする場面になるととたんに「ザップ」が襲ってくるし・・・。ある時スタメンの少年が怪我をして試合に出ざるを得なくなりました。謎解き、スポーツのヒーロー物語、異性への関心と友情が描かれ、ダニエルが密かに書き続けている「人類最後の子ども」という物語までが挿入されています。これでもかとばかりのエンターテイメント要素の投入です。作者は最後まで読んで欲しかったのですね。 OCDは、「強迫症」とも言われる病気です。子どもの有病率は2%前後とも言われています。この本の扉の裏には「OCDに向き合うあなたへ /ひとりでは見つからない希望も/助けを借りれば、かならず見つかります」と書かれています。ずっと秘密にしていたことを人に話すのには勇気がいります。OCDに苦しむ子どもにも大人にも楽しく読めて、回復への希望をもつきっかけになりそうな本です。OCDを知らない人にもこの病気について理解を深めていってほしいです。

  • エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)

    エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)
    これも少し前の児童書です。小学校上級から中学生くらいの人にお薦めですが、大人が読んでも面白いことは受け合います。カナダのある街に転校してきた車いすの少年デ―ヴィッドとバスケ好きの1学年上の少年ショーンのボーイ・ミ―ツ・ボーイの友情物語です。強がっていたデ―ヴィッドの心の奥底の寂しさと辛さに触れて、障害について思いを深めました。ショーンが車椅子体験をする場面もリアルです。

  • 京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)

    京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)
    児童書です。ロンドンパラリンピックの前に出版された古い本ですが、一連のリアルつながりで、読みました。 自動車事故で脊椎損傷を負って下半身はおろか、背筋、腹筋も使えなかったサッカーJリーガーだった選手が、車椅子バスケでスポーツ選手として復活するstoryに子ども達は勇気づけられることでしょう。「夢に向かって行動を起せば、必ず出会いがある」という素的な言葉に出会いました。

  • 井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~

    井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~
    漫画家井上雄彦と取材チームが、リオ・パラリンピックの車椅子バスケを取材しました。マンガ「リアル」の登場人物たちを絡めながら、現実の試合と選手たちの姿を1冊の本にまとめてくれています。写真が素晴らしい。そして、リアルの原画もあり、選手たちのプロフィールも語りも読みごたえがありました。2020の東京パラりンピックまでに、「リアル」復活を熱望します!

  • 井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)

    井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)
    暮れだったか、正月だったか?テレビで車椅子バスケの選手京谷和幸さんの特集を見ました。その粘り強さと目標に取り組む熱さに感動しました。「リアル」のモデルの一人だということが知らされ、さっそくこの漫画を手に入れました。素晴らしい漫画です。劇画中の登場人物の心情と情念が本当にリアルに描かれている。単なるスポーツ根性物語ではないです。登場人物の生き方と個性が迫ってきます。障害に向き合う姿が生々しい。リアルでありながらファンタジーも含んでいて、私はプロレスラー・スコーピオン白鳥に感動しました。プロセスを知らないおばはんを感動させる井上雄彦さんの漫画の迫力!残念ながら14巻までしか描かれていません。続きが読みたい。(息子が古本屋で既刊全て見付けてくれました)。そういえばバガボンドも途中だとか。それも息子に進められ以前に読みましたっけ。スラムダンクは読んでいません。

  • フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)

    フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)
    この本が出版された2013年に一度読み、今回二度目に読んで、このリストに紹介します。主人公マルセロは弁護士のお父さんと看護師のお母さんを持つ、アスペルガー障害に良く似た症状のある17歳。小学校入学以来、私立でお金がかかる障害児への支援が専門の学校パターソンに通っています。高校の最終学年を控えた夏休み、お父さんは、弁護士事務所というリアルな世界でアルバイトすることを求めます。マルセロはパターソンの農場で生まれたポニーの子馬を世話するアルバイトがしたいのですが、お父さんは強硬です。リアルな世界のアルバイトを成功裏に負えたなら最終学年までパターソンにいて良いと、交換条件を出されてしぶしぶお父さんの事務所で働くことになりました。 マルセロはオフィスの中で、衝撃的な写真に出会います。顔面の半分が削り取られている映像なのに、その子の瞳が強い思いを発して迫ってきます。直属の先輩ジャスミンと一緒にその子を探し出そうとします。ここからはミステリー仕立てですのであまり詳しくは書けません。 マルセロにとってリアルワールドとは、障害があろうとなかろうと、思春期の男性として通過しなければならない世界です。性の芽生えや、異性への関心もテーマです。一方で裁判の中で争われる正義と不正義の交錯する世界もあります。自己の実感に基づいた行動を通して世界へ関わろうとするマルセロは嘘がないという意味で最もリアルな存在かもしれません。現代アメリカが抱える貧困や差別などのリアルな現実も描かれています。 自分の思いを的確、適正な言葉で表現し、コミュニケーションに反映させたいと苦闘するマルセロが発達障害を理解する上で参考になります。私も自分の思いにぴったりした言葉を探して苦労をなさっている方々と出会っています。会話がゆっくりだから知的に劣っているわけではないのです。何も言わないからといって、何も考えていないわけでもないのです。その辺りの当事者としての在りよう(叙述)に大いに学ばされました。発達障害に関心のある方もない方も、現代アメリカ小説として「時代を映す鏡」として楽しめる作品ではないかと思います