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カテゴリー「ウェブログ・ココログ関連」の5件の記事

2008年9月23日 (火)

写真の投稿ができなくて、悲しい。

夜明けごろ、奥多摩の山々が朝焼けに美しく輝いていました。久しぶりの澄み切った空に心も弾みます。ついこの間までなら、すぐカメラを手にして、このページに投稿していました。それがまた励みになって、ブログ書くことの楽しみでもありました。ところが夏の終わりに突然、ココログはメンテナンス。そして、画像は今まで40MBまでアップできていたのが、1MBまでしかアップできなくなりました。

ここにMBという言葉を書いても其れが意味する内容もよくわからない私です。いろいろ調べて、私のデジカメ写真はほぼすべて、1メガ以上。投稿できないと言うことがようやくわかったのが先週のこと。

この問題を解決するには、画像のリサイズという処理をすればいいらしいですが、まだ作業がよくわかっていません。

というわけで、何かにつけて、写真をとっていたのに、急に意欲をなくしてしょぼくれています(´・ω・`)ショボーン。

だから、ここしばらく写真も投稿できないし、・・・カメラを持って歩こうという意欲もなくなりかかっています。

ああ。せっかくの楽しみだったのに。

秋の花たちが「あたしを撮って!」とささやきかけてきます。白萩が我が家の庭でさわやかに微笑んでいます。彼岸花はそこらじゅうで、大笑いしています。シュウカイドウはそろそろ終わりですが、でもまだ妖艶なピンクです。

赤ん坊の時から、観察していた栗の実はもうすっかり立派に育ちあがりました。茶色く輝く実が、栗畑の地面に落ちています。割れたイガから飛び出した、ふっくらした実のおいしそうなこと。「拾って頂戴」と聞こえるんですが、よそ様の畑ですから、いただくわけにはいきません。こういうときカメラに収めると、うれしい気持ちが長続きするんですけどねえ。

あたらしいデジカメを買い、花の写真も撮りためていますが、そちらはまだパソコンに入れることができないでいます。そちらのほうはサイズがもしかしたら、小さいかもです。

あとでチャレンジしてみましょう。

とにかく、せっかくカメラと付き合いはじめたのに、ここで打ち切りというのも寂しい話です。

なんとかしたいなあ。

2007年8月 1日 (水)

記事100本・・・自分でお祝いします

ブログ始めて、三ヶ月が過ぎました。アクセス数も3000を超えて(しくみはよくわからないのですが)、自分の生活の中に「ブログの時間」というものが組み込まれてきて、だんだんルーティンになってきたので、ずいぶん気持ちの上で楽になりました。

記事の数も、今朝ほどの易占いでちょうど100本でした。

前から100本になったら記念の記事を書こうと思っていたのですが、今朝ほどはちょうど100本目ということに気がつかなかったのです。残念!記念の記事は作ることができませんでした。・・・

今気がついたんだけど、行き当たりばったりでなく、ふつうそういう時は事前に記事作っておいて、ぴたりとアップすればいいんじゃあないかしら?200号記念はそうしたいです。

そういえば、アルバムの方ももうすぐ100枚です。おもくなるので、どこかに保存して新しく作ろうと思っているのですが、ブログの場合の保存方法がわかりません。

CDにコピーしておけばいいのかしら?

今日の易占いは【雷地予らいちよ・初爻】でした。鳴予、凶。でしたから、気がつかないで

正解だったんでしょう。大騒ぎしないで、侯を建て、師を行(や)る準備をしてます。実は。

さて、明日から合宿があって、明後日は更新できないのですが・・・

もしかして「携帯から投稿する」ってことに挑戦してうまくいくかもしれません。

「あせらず、あわてず、あきらめず」の精神で。

実は年中あせって、しょっちゅうあわてている薫風ですが、あきらめずが得意です。

本当は、そろそろいろいろなことあきらめて、手放していく作業が必要な年なんですけど。

日が変わりました。

今日も一日、好い日でありますように。

おやすみなさいませ。

くんぷう

2007年6月18日 (月)

ブログを書くということ

ブログ、あんまり、深く考えもしないで、始めました。

いつものことなんだけど・・。

走りながら考えますが、あちこちへ

ぶれて、考えることが苦手みたい。

で、お休みするときも

簡単に、一番手を引きやすいところを取りやめて

と、考えていました。

でも、アクセス解析を見てみたら、昨日も見てくださったかたも

いらっしゃるんですね。わざわざ訪問してくださる方も。

うれしかったです。悪かったなあと反省もしきり。

ぼちぼちとまた、マイペースで、続けますか。

ところで、斎藤投手、またやりましたね。

新聞報道によると、チーム全体が力を発揮して

勝ったことがよくわかりますから、

ほんとは、また早稲田が勝ちましたね。

というところなんでしょうけど、斎藤選手に話が流れるということが

もう「神話」なんですね。

大勢の人々との共同幻想。

どこまで続くのでしょうか。

わたしは、自分の体調の悪さと忙しさにかまけて

そんな試合があるんだってことさえ

知りませんでした。

またいつか、易で占ってみたいです。

では、再開のご挨拶でした。

2007年5月31日 (木)

ブログにふりまわされない

やられたなあ。

というのが今の感想です。

よせばいいのに朝、ブログページを開いて

アクセス解析を見ました。

二日間更新してないから、少しでも書いておこうか

と、のんびり考えていました。

そしたら、なんと昨日のアクセス数がすごいではありませんか。

これは、ダービーの易のことかなんぞで、見てくださる人が増えたのかなあ

それなら、何か易に関する記事でも作ろう。

と、前から「今日の易占い」みたいなページ作ってもいいなと

思っていたもんで、よく考えもせず「記事」作ってしまいました。

続きを読む "ブログにふりまわされない" »

2007年5月22日 (火)

ブログって?なんだろう。

ブログに向かっています。

特に今日書きたい事があるわけではないんだけど。

更新することを日課にしたい気分があるもんで。

でも、読み手を(不特定多数の・・実は少数・・でも一応自分の

ブログページに関心をもっているであろう人を)想定して

書くということが、不思議です。

ほんとのところ、やっぱりブログの成り立ちからして

よくわかっていないで

こんなこと始めて、

時間ばかり投入して・・

バカみたいと、少しばかり思っています。

でも、走りながら考えるのは私のスタイルだから

もう少し手探りを続けていきましょう。

と、バカはバカなりに、書き続けるわけです。

目的があって始めたことでした。

オープンしたばかりのカウンセリングルーム。

ホームページを作ったけれど

誰も見てないらしい。

ブログ作ったら、人に知られるんではないの?

と教えてくれる人がいて始めたことでした。

で、確かにココログの力で、グーグル検索にも

かかるようになったけど、

でも、まあ。そちらの方もあいかわらず

インターネット空間の暗闇に潜んでいる様子。

で、きょうはコマーシャル。

易とカウンセリング合体すると

結構面白いものなんですよ。

私は毎日喜んでやってます。

友人の中でも、易をたてて欲しいという人がいます。

結構喜ばれます。

で、ブログで

易って、いいもんだよ。やってみない?

と、誘いたくて、始めたことでした。

易は中国の古い占いだけど

現代のあなたの生活にも

お役に立ちますよ。

毎日の生活にしっかり対処できて

幸せ運んでくる、すてきなツールですよ。

とお知らせしたくて始めたことでした。

そのうち、「くんぷうさんのバルコニー」

みると、易占いができるように仕立てたいですけど。

それは、相当時間がかかると思います。

多分一年がかり。

期待しないでまっててくださいね。

で、ブログって何だろう?にもどるけど

なんでしょう?

わたしはコメント受け付けない、

トラックバックってものもやったことがない。

要するにバカがバカの囲いの中に

自閉してるから、ブログの姿が見えてこない

とは思っています。

でも当分このままにさせてください。

記事書くだけでいっぱいいっぱい。ナンデ

きっとレスできないから、お許しを。

薫風

くんぷうさんの、ともいきブックス

  • 寺澤 捷年: 和漢診療学――あたらしい漢方 (岩波新書)

    寺澤 捷年: 和漢診療学――あたらしい漢方 (岩波新書)
    西洋医学で神経内科学や中枢神経解剖学を修めた著者は、一方で若いころから身近であった漢方医学も研究してきた。アナログの漢方医学(とデジタル(心身二元論)の西洋医学を融合させた医学を「和漢診療学」という体系で実践と研究をされてきた。その集大成をこれから医学を志す若者に伝えたいとの志で編まれたこの新書。圧巻は、西洋医学では不定愁訴としてしか扱われなかった、でも患者にとっては辛い様々な症例を漢方薬で軽くして行く症例報告と最先端の脳神経科学や薬理学で裏打ちされた解説が併せて述べられているところである。糖尿病や高血圧などストレス性の数々の症状について納得がいく。読んでもよくわからないのは、漢方、処方と言う時の方、とその人の体の状態を証としてみる方証相対論という部分である。勝手に薬局に行って何とかという漢方薬を買うのではいけないな、今度漢方医にかかってみようと思い立った。明治維新に捨ててきた数々の文化的な知恵や知見の大切さが実感された。温故知新、素晴らしい哉。

  • 濱口 瑛士: 書くことと描くこと -ディスレクシアだからこそできること-

    濱口 瑛士: 書くことと描くこと -ディスレクシアだからこそできること-
    著者は、東大先端研の「異才発掘プロジェクトROCKET]第1期スカラー生。ディスレクシア(読み書き障害)であった彼にとって、学校生活はどんなにか苦しかったことでしょう。音読と漢字テストが日常風景で、できないとみんなの前で馬鹿にされる。何より本人が苦痛を感じているのに、誰もその苦痛に配慮しない。今も日本中で苦しむ人たちがいることに気づいていきたい。本書は、12歳の時に「黒板に描けなかった夢~12歳学校からはみ出した少年画家の内なる世界」を世に問うた著者の2冊目の画集。第1部「書けなくたって、よめなくたって」で描かれたディスレクシアの世界、素晴らしいです。よーく伝わります。「そうだったのか!」。第2部の作品集。癒されます。不思議な味わい。繰り返しの多い、しかし丁寧な筆致で柔らく描かれた瑛士ワールド。特別付録児童憲章をカタチに。この本は図書館の7(芸術)の棚にありました。絵本として出版して、子どもやヤングの棚に並べてほしい。

  • 安田 菜津紀: しあわせの牛乳 (ポプラ社ノンフィクション―生きかた)

    安田 菜津紀: しあわせの牛乳 (ポプラ社ノンフィクション―生きかた)
    岩手県岩泉市にある中洞(なかほら)牧場は、日本では珍しい完全放し飼いの牧場です。この飼い方を山地酪農と言うそうです。森や山の中で自然に育った(手入れはされています。芝や牧草の栽培もされていますが、農薬は使わない。肥料は牛たちの糞とそれを分解してくれる生き物たちの排泄物、落ち葉など)そこでは、牛たちは自由に歩き、遊び、食べ、寝て、水は谷川や池に来て自由に飲みます。子牛はお母さんのおっぱいが飲めます。そんな幸せな暮らしをしている牛たちの牛乳はとても美味しい。濃厚飼料を使わないのでちょっぴり乳脂肪が少ないそう。こんな夢みたいな酪農が実現したのは、中洞さんが小さいころからあこがれていた緑の山地・自然の中で牛を飼うということを実現させるための苦難と工夫があったからなのです。小学校中級から読めます。東京にいて、ここの牛乳飲めるかな?と調べてみたら通販サイトで買えるみたいです。

  • 広瀬 宏之: 発達障害支援のコツ

    広瀬 宏之: 発達障害支援のコツ
    著者は児童精神科医。本書は神奈川LD協会冬のセミナー2018「発達障害を支援するための基本の手引き」の講演録に加筆したものと、あとがきにあります。内容は専門的な最新の知見をもとに、医者やセラピストなどの治療者にも、保育や教育の支援者にも、家族や大人の当事者にもわかりやすいものとなっています。言葉の一つ一つが含蓄があって深いんです。一日1ページ、開いたところを読んで、今日のセラピーに活かしています。例えば「グレーゾーンと言う言葉」では、「グレーゾーンと言う言葉は非常に危険です。支援が必要な人はグレーゾーンではないんです」「グレーゾーンだから支援をしないで様子を見ていて不適応が嵩じていってしまうのが一番避けたいパターンです」とあります。この子(人)にどんな支援が必要なのか見抜く目を持ちたいです。

  • マイケル モーパーゴ: 希望の海へ

    マイケル モーパーゴ: 希望の海へ
    現代イギリス児童文学を代表する作家の作品。背景には、オーストラリアへの強制的な児童移民の歴史がある。第二次世界大戦後の戦災孤児アーサーは訳が分からないままに、オーストラリアに送られた。イギリスを発つ前に孤児院で姉のキティと別れる時一つの鍵を首にかけてもらったことが、自分自身が確かに生まれてきて存在していた、姉もいたという証となっている。この物語は2部仕立てで、前半はアーサーが書き残した自分史ノートの物語。オーストラリアでは、奴隷的な労働が待っていた。悲惨な生活から兄とも慕うマーティと共に逃げ出し、孤児となった野生動物を救済しているメグズおばさんに拾われた。ヨットを作る船大工の仕事をしたり、漁船に乗ったりした後、ベトナム戦争に従軍し心にダメージを受けて帰還した。病院で出会ったクレタ島からの移民を父に持つナースのジータと出会い幸せな家庭を築くまでの物語。第2部はアーサー亡き後、娘のアリー(18歳の少女)が父が作った決して沈まない小型ヨット・キティ4号に乗ってオーストラリアからイギリスまで地球半周の単独航海をする物語。父の鍵を首に幾多の困難をかいくぐりイギリスに到着し、鍵の謎とキティに出会うまでが、現代の物語らしく、メールやインターネットでの情報発信、宇宙飛行士等が登場して物語を支える。モーパーゴの物語は最後までぐいぐいひきつけながら声高ではないが、人の生き方の多様性を伝えて夢中にさせる。ヤングに読んでほしい。

  • ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)

    ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)
    この本は、2017年、ミステリー専門のエドガー賞児童図書部門を受賞しました。主人公ダニエルと共に殺人事件かもしれない謎に挑戦してワクワクしながら読み進めていけます。しかし、単純な謎解き物語ではなく、全編を覆っているのは、OCDの症状から逃れられない苦しみです。不安があると寝る前に2時間でも3時間でも儀式と呼ばれる強迫行為をしなければ就眠できないのです。ダニエルが「ザップ」と呼ぶ強迫観念が侵入してきて「○○をしろ。ダメだ。やり直せ」と命令し、ダニエルは手洗いやスイッチのオンオフ、歯磨きなどを繰り返しせざるを得ません。不合理と分かっていても止めることができません。涙を流しながら、し続ける苦悩がリアルに描かれています。作者もこの症状に苦しんだ当事者だそうです。 13歳のダニエルは、アメフトをやっているけど、とても自信がありません。蹴るだけや走るだけならできるのですが、試合でキックをする場面になるととたんに「ザップ」が襲ってくるし・・・。ある時スタメンの少年が怪我をして試合に出ざるを得なくなりました。謎解き、スポーツのヒーロー物語、異性への関心と友情が描かれ、ダニエルが密かに書き続けている「人類最後の子ども」という物語までが挿入されています。これでもかとばかりのエンターテイメント要素の投入です。作者は最後まで読んで欲しかったのですね。 OCDは、「強迫症」とも言われる病気です。子どもの有病率は2%前後とも言われています。この本の扉の裏には「OCDに向き合うあなたへ /ひとりでは見つからない希望も/助けを借りれば、かならず見つかります」と書かれています。ずっと秘密にしていたことを人に話すのには勇気がいります。OCDに苦しむ子どもにも大人にも楽しく読めて、回復への希望をもつきっかけになりそうな本です。OCDを知らない人にもこの病気について理解を深めていってほしいです。

  • エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)

    エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)
    これも少し前の児童書です。小学校上級から中学生くらいの人にお薦めですが、大人が読んでも面白いことは受け合います。カナダのある街に転校してきた車いすの少年デ―ヴィッドとバスケ好きの1学年上の少年ショーンのボーイ・ミ―ツ・ボーイの友情物語です。強がっていたデ―ヴィッドの心の奥底の寂しさと辛さに触れて、障害について思いを深めました。ショーンが車椅子体験をする場面もリアルです。

  • 京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)

    京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)
    児童書です。ロンドンパラリンピックの前に出版された古い本ですが、一連のリアルつながりで、読みました。 自動車事故で脊椎損傷を負って下半身はおろか、背筋、腹筋も使えなかったサッカーJリーガーだった選手が、車椅子バスケでスポーツ選手として復活するstoryに子ども達は勇気づけられることでしょう。「夢に向かって行動を起せば、必ず出会いがある」という素的な言葉に出会いました。

  • 井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~

    井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~
    漫画家井上雄彦と取材チームが、リオ・パラリンピックの車椅子バスケを取材しました。マンガ「リアル」の登場人物たちを絡めながら、現実の試合と選手たちの姿を1冊の本にまとめてくれています。写真が素晴らしい。そして、リアルの原画もあり、選手たちのプロフィールも語りも読みごたえがありました。2020の東京パラりンピックまでに、「リアル」復活を熱望します!

  • 井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)

    井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)
    暮れだったか、正月だったか?テレビで車椅子バスケの選手京谷和幸さんの特集を見ました。その粘り強さと目標に取り組む熱さに感動しました。「リアル」のモデルの一人だということが知らされ、さっそくこの漫画を手に入れました。素晴らしい漫画です。劇画中の登場人物の心情と情念が本当にリアルに描かれている。単なるスポーツ根性物語ではないです。登場人物の生き方と個性が迫ってきます。障害に向き合う姿が生々しい。リアルでありながらファンタジーも含んでいて、私はプロレスラー・スコーピオン白鳥に感動しました。プロセスを知らないおばはんを感動させる井上雄彦さんの漫画の迫力!残念ながら14巻までしか描かれていません。続きが読みたい。(息子が古本屋で既刊全て見付けてくれました)。そういえばバガボンドも途中だとか。それも息子に進められ以前に読みましたっけ。スラムダンクは読んでいません。

  • フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)

    フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)
    この本が出版された2013年に一度読み、今回二度目に読んで、このリストに紹介します。主人公マルセロは弁護士のお父さんと看護師のお母さんを持つ、アスペルガー障害に良く似た症状のある17歳。小学校入学以来、私立でお金がかかる障害児への支援が専門の学校パターソンに通っています。高校の最終学年を控えた夏休み、お父さんは、弁護士事務所というリアルな世界でアルバイトすることを求めます。マルセロはパターソンの農場で生まれたポニーの子馬を世話するアルバイトがしたいのですが、お父さんは強硬です。リアルな世界のアルバイトを成功裏に負えたなら最終学年までパターソンにいて良いと、交換条件を出されてしぶしぶお父さんの事務所で働くことになりました。 マルセロはオフィスの中で、衝撃的な写真に出会います。顔面の半分が削り取られている映像なのに、その子の瞳が強い思いを発して迫ってきます。直属の先輩ジャスミンと一緒にその子を探し出そうとします。ここからはミステリー仕立てですのであまり詳しくは書けません。 マルセロにとってリアルワールドとは、障害があろうとなかろうと、思春期の男性として通過しなければならない世界です。性の芽生えや、異性への関心もテーマです。一方で裁判の中で争われる正義と不正義の交錯する世界もあります。自己の実感に基づいた行動を通して世界へ関わろうとするマルセロは嘘がないという意味で最もリアルな存在かもしれません。現代アメリカが抱える貧困や差別などのリアルな現実も描かれています。 自分の思いを的確、適正な言葉で表現し、コミュニケーションに反映させたいと苦闘するマルセロが発達障害を理解する上で参考になります。私も自分の思いにぴったりした言葉を探して苦労をなさっている方々と出会っています。会話がゆっくりだから知的に劣っているわけではないのです。何も言わないからといって、何も考えていないわけでもないのです。その辺りの当事者としての在りよう(叙述)に大いに学ばされました。発達障害に関心のある方もない方も、現代アメリカ小説として「時代を映す鏡」として楽しめる作品ではないかと思います             

  • ニール・シャスタマン: 僕には世界がふたつある

    ニール・シャスタマン: 僕には世界がふたつある
    作者の後書きによると「アメリカの3世帯に1世帯は家族の中に精神疾患に悩まされてい」るそうです。翻訳者の金原瑞人さんは、訳者あとがきで「本文を全部読む前に読まないで」と書いてあります。上質のミステリーであり、ファンタジーも内包しています。読み終わった後、また初めから読み返してああ、この人があのキャラで・・・と振り返りたくなりました。私は書名からある予断をもって読み進みましたが、それでも十分に引きこまれました。当事者でなければ書けないような描写で叙述されています。それは作者が当事者家族でもあるからです。疾病と回復の物語です。今映画化が進んでいるそうです。話が進むにしたがって頭の中に映像が動きだしてきて惹きこまれます。ゲーム世代ならなおさらと思います。

  • 長谷川ひろ子・秀夫: 生死いきたひ 生前四十九日

    長谷川ひろ子・秀夫: 生死いきたひ 生前四十九日
    タイトルの「いきたひ」は、書影で見られるように本当は生と死が合体した造字で、著者が考案したものです。「生きたい」「生きた日」と読めます。生に切れ目なく死が続いていることも読み取れます。著者は同名の映画を自主制作されました。悪性リンパ腫で40代の若さで亡くなったご主人の希望でなくなる前の家族の看取りの様子を映画に撮られました。ご自宅の畳の上で亡くなられた後、4人の子どもさんと著者は朝まで添い寝をされます。その映像を中心に、後から「畳の上での看取り」「腕の中に抱えた看取り」「看取りができなかった死に向き合う」方々のインタビューなどで構成されています。死を恐れるあまり、私たちは自分の死も家族の死も本気で真剣に向き合ってこなかったなあと思います。この映画に触れ感動した人々が全国で上映会をされています。看護や医学を学ぶ人達の学校でも上映されています。私は、看取りを専門にする看護師さんから紹介されて映画を見、この本も読みました。本気で向き合わなければならない死が私の周りにもあります。ゆっくり考えています。

  • 藤井克徳・池上洋通・石川満・井上英夫 編: 生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの

    藤井克徳・池上洋通・石川満・井上英夫 編: 生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの
    2016年の相模原殺傷事件の後、衝撃を受けながらも、黙ってはいられないと、障害について深くかかわっていらっしゃる6人プラス4人の方による、深い思考と問いかけの本です。タイトルの「生きたかった」から、犯人の投げかけた差別思想に対抗する書物であることが伝わってきます。6人の執筆者は、編者の4人の他に、盲聾重複障害の東大教授福島智さんと精神科医の香山リカさんです。他に、当事者・家族・支援者の立場の方4名も思いを綴られています。福島さんが述べていらっしゃるように、今は、障害の有無にかかわらず、誰もが生きづらく感じている現代日本の社会です。今回のこの事件を自分の問題として考え続ける努力を積み重ねていきたいです。自分には無縁と思っていた優生思想とヘイトクライムのその芽が自分の中に存在しないかどうか?自己点検の目も必要です。

  • 手嶋 ひろ美: 笑われたくない! (文研ブックランド)
    主人公結花は脳性まひのある小学4年生。不自由な体を笑われたくないといつも思っています。ところがお楽しみ会の出しもので結花たちの班は、二人羽織をすることになったのです。班の男子はわざと変な食べ方をして、みんなに笑ってもらいたい。結花は一生懸命、羽織の後ろの小雪と練習して、上手に食べるところを見せたい。心の中で「笑われること」にとても抵抗があるのです。 脳性まひの人の体の不自由さからくる心の苦しさ、社会の側のバリア、周囲の無理解などが結花の視点から丁寧に描かれています。私自身も今だに笑われたくないと思うことがあります。障害があってもなくても、人と違う自分を受け入れると、笑われることなどどうでも良くなるように思いました。大切なのは自分がどう生きるかということですね。著者自身も脳性まひのある人で、車いすの自分をじろじろ見る人には、自分からにっこり笑ってみるそうです。
  • アン ブース: 霧のなかの白い犬

    アン ブース: 霧のなかの白い犬
    17年度の小学校高学年の読書感想文課題図書です。主人公たちは中学生です。おばあさんの認知症と白い犬を飼い始めること、など読み始めのアイテムには、確かに小学生も関心を持つでしょうが、読み通し、内容世界に迫るには小学生にとっては難しすぎると思いました。世界の国を知り、歴史的な知識も持ち始める中学生以上に読んでほしいです。高校生でも大人でも読みごたえはあります。ネタバレになるので、おばあさんと白い犬の関係を紹介できないし、論じられないのが残念。主人公ジェシーたちはイギリスの田舎町に住んでいます。その小さな村にも移民に職を奪われたお父さん(出稼ぎにフランスへ!)や、ダウン症の村人や、学校でのいじめ、家庭の問題など、子どもが気にせずにはいられないことが満載です。ファンタジーものにどっぷりつかっている、日本のヤングにも主人公と一緒におばあさんの子ども時代を探索する旅に同伴してほしいです。イギリスやドイツの児童文学やヤングアダルト文学が障害や戦争、平和の問題を掘り下げて描いていることにいつも感心します。70年以上前の戦争の傷跡が今を生きる人間関係に影を落としていることは、日本もアジアも同じことです。ナチスの問題を自分に関わりのあることとして考えました。

  • 伊藤亜紗: 潮新書 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

    伊藤亜紗: 潮新書 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか
    この著者の専門は美学や現代アーツです。ですが、元は生物学を目指していらっしゃったそうで、身体を論ずる視点が面白い。「目の見えない人は世界をどう見ているか?」もユニークな本でした。スポーツは基本的に身体条件が違う人が一定のルールの元で(公平さ)競うもの。目が見えないというハンディキャップがある人どのようなルールの元で、どのような身体の使い方をして、誰と協働して、思い切り競技・競争ができるのかを、現役アスリートへのインタビューを通して論じています。人間の身体の不思議、能力の果てしなさを思います。パラリンピック、是非観戦したいです。描かれている競技はブラインドサッカー、競泳、陸上、ゴールボールなど。

  • 古内 一絵: フラダン (Sunnyside Books)

    古内 一絵: フラダン (Sunnyside Books)
    男子が圧倒的に多い工業高校の中に女子ばかりのフラダンス愛好会がある。そこに入部した男子4人。リーダーは「フラダンス甲子園」での優勝を目指している。フラ本来の文化的意味を強く持つ男踊りを組み込んだフォーメーションを考え意欲満々。そればかりでなく、フラ愛好会「アーヌエヌエ・オハナ(虹のファミリー)」は慰問活動にも熱心に取り組んでいる。読み進むうちに笑顔が重要な要素であるフラダンスの魅力にはまる。高校生の人間模様はどこであろうと、多数派と少数派のぶつかり合いがあり、自分自身の中の青春の葛藤があるが、この物語の舞台は福島県。震災と原発事故を背景にした複雑な思いが描かれている。物語の転換点は仮設住宅への慰問でぶつけられた住民の言葉であるが、福島以外の中高生にどこまで伝わるか気にかかる。第63回読書感想文コンクールの課題図書となっている本書。原発発災の時はまだ小学生だった人達が今高校生である。風化の中でおためごかしの復興が叫ばれている。この本は楽しみながら読める痛快学園ものである。多くの高校生に手に取って欲しい。そして、今も故郷に帰還できない人達の困難と原発事故・放射能被災という現実を登場人物の苦しみを通して読み味わってほしい。(といっても既に現状はもっと進み、避難指示解除による国と電力会社の住民切り捨てが広がっている。仮設住宅は閉じられ、復興公営住宅への転居とまたまた新しい環境への適応を強いられている人達が多くいるが本書ではそれについては描かれていない)

  • 池田 晶子 睦田真司: 死と生きる―獄中哲学対話

    池田 晶子 睦田真司: 死と生きる―獄中哲学対話
    池田晶子さんと獄中死刑囚(強盗殺人犯)の往復書簡集。哲学の本は読み通すことが難しく苦労するのに、この本は短時間で読み切りました。初めは寝がけに布団の中で睡眠薬代わりに読んでいました。中盤は、続きが読みたくて朝起きがけに。そして、最後は事務机で姿勢を正して読みました。往復書簡は、死刑囚である睦田さんから、池田さんへのファンレターが雑誌の編集部に送られてきたことから始まりました。池田さんの著書(一連のソクラテスもの)によって、自分自身の罪と罰に向かい合い、殺した人の命の分まで「善く生きる」と決意している自分自身の死生観、今現在の哲学が述べられています。池田さんはその彼に本気で向かい合い、「甘い」としかり、罪と罰、殺すこと、死刑による死に向かい合い、もっと考えろと迫ります。池田さんの人間的な一面がよく現れていて、思わずクスリとしたりして哲学が苦手な私にも読み通す意欲を与えてくれました。二人とも理知の人で池田さんによれば良く似ているとのこと。言葉によって現象を吟味し思弁し尽くすお二人の姿を通して、いい加減な自分自身の生き方に反省が生まれます。死について考えている今だから出会った一冊です。生き方を考えるとは、死を考えることだと思います。

  • 志賀 泉: 無情の神が舞い降りる (単行本)

    志賀 泉: 無情の神が舞い降りる (単行本)
    物語の舞台は南相馬市小高(原発20キロ圏、旧避難指示区域)。あの日(2011年3月11日)から半月あまり、町に残っている人はほとんどいない。俺は町を離れなかった。瀕死の病人である母を今動かせば、即、死につながると案じて。母はゆっくりと衰弱していく。無人の町で、30年前の記憶が交錯する。俺の家はしがない床屋だけど、近くの八坂医院には、あこがれの転校生が住んでいた。彼女は孔雀を飼っていた。俺は孔雀のエサとして蛙を取って来る係だった。そして切ない悲劇が舞い降りる。今、無人になった医院の孔雀小屋に、黒犬が残されている。人間の避難に犬は連れて行けないから。痩せこけている犬に餌をやる。そうこうするうちに母が死に、黒犬はペットレスキューのボランティア女性に託される。巨大化した美しい羽でメスを呼び寄せる孔雀はうまく飛べないというリスクを背負う。原発は孔雀に似ていると俺は語る。止めようとしても止められない肥大化した姿。原発爆発後、半月経過した町の描写が心に残る、表題作。小高の街を歩くと彼に出会いそうな錯覚がする。もう1編「私のいない椅子」が収められている。こちらは、阿武隈山脈の海側、原発のすぐ近くに住んでいた女子高生が主人公。その反対側の地に避難、転校している。福島の高校生が、今を映した映画を創る物語。私の母は自分の両親を津波で失ったが、遺体捜索もできなかった(避難指示で)ゆえに海から離れられない。私は一人親戚のおばを頼って避難しているが、あの山の向こうを超えて、海辺に帰りたい。初め映を引き受けていたけど、声高に原発反対を叫ぶ映画に変容していく制作側(避難を受け入れる側)の高校生や支援の制作グループの主張に沿っていけずケンカして役を降りる。私はただ、自分の存在を映画を通して、今は散り散りになった友人たちに届けたいだけ。ロケで海辺の故郷に行くことが望みなだけ。映画は私とは無関係に進行し試写会が行われる。すでにそれは「わたしのいない椅子」になっている。私は義援金で買った新しい自転車で海辺の町に向かう(もちろん本当は帰れない町)。原発立地の町の女子高生の身になって、違和感なく物語の進行につき合っていけた。作者は小高で育ち、今は休校中の双葉高校を卒業した人。現在進行中の原発被災地の中側に立った物語。ホンの小さな話だけど、細部に神が宿る。あの事故がそこに住まう人々の暮らしと内面に何をもたらしたか?ドキュメントではなく文学で伝えられることは貴重なことと思う。