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カテゴリー「ニュース」の3件の記事

2019年4月 1日 (月)

令和の時代は?【地水師・初爻】をいただきました。戦の時代?凶とならぬよう、本当の意味の律が必要。人々の英知と善き師が必要。安穏と暮らしていけない時代になりそう。

新元号が発表されました。音による語感、漢字から受ける意味によるイメージが私たちにもたらされます。さて、「好い時代になりそう!」と夢と希望を胸に抱いた方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか?易神様に「どんな時代になるでしょう?」と伺ったところ、【地水師・初爻】をいただきました。やっぱり!ヤダ!これは大変!と思った次第です。私の易は、本当に偶然の賜物ですが、絶妙にシンクロします。この卦がほしいと操作することはありません。こころに思うこともありません。

万葉集が出典と聞いて、若いころに国語国文学を学んだ身としては、一瞬良かったなあと思いましたが、いやいや違うでしょ!とすぐに思い至りました。令の音も字も、和になじみません。日本語で頭にラ行がくる言葉は、ほとんどありません。子どもたちには最も発音しにくい音です。これから生まれる子どもさん達には難儀だなァ。麗澤大学がありますが、あれは易経にも出ている言葉です。みなさましりとりで苦労されたことあるでしょう?令と言う字の元々の意味は屋根の下(天下)にひざまずく人々を集めるという意味です。そこから命令、律令などの言葉が生まれました。令月だの令夫人だのの言葉があり、「美しい、とか立派」と言う意味もありますが、それは後からついたものと思います。巧言令色少なし仁。命令、令書に令状。・・・。旧暦2月(万葉集由来の言葉として令月と言うそうな)の梅の歌からとったとのこと。ちなみにもともとは梅(うめ・むめ・め)はやまと言葉ではありません。ウメは外来種。ウメという音は呉音からきたものです。ただ一般的には、文献時代以前から入っていた言葉は外来語には含まないそうだけど・・・。でも国語を学んだ人なら常識なのに。「さくら」は「いのち」と同様に大和言葉です。何を言いたいかと言うと漢籍からとらないと言いながら、ちぐはぐ。突っ込みどころ満載の「令和」と思いました。つまりは漢籍を排除するというアッピールの仕方がいけすかない。好いところは、画数が少なくて、書くのは楽ですね。

今さっき易を立てどんな時代でしょうと問うたところが【地水師】闘いの卦でした。

善き師に率いられて、戦いに打って出る卦です。そのはじめ。まずは、内部の規律をつくりましょう。(ここでも令ですね)

色々懸案事項があります。戦うには、まずもって自分の内面でしっかりと方針を立て、ゆるがぬ規律を打ち立てたいです。

地水師ちすいし】この卦は2爻のみが陽で中心にあります。この陽が残りの陰を率いて、戦いに向かう卦です。師は集団を率いて指揮する人。そこから戦いのそのものも指すことになりました。師は、貞なり。丈人(じょうじん=立派な人)は吉にして、咎なし。

師の時は貞正(心正しく、行い正しく)がよい。立派な指揮者がいれば吉で失敗はない。

今日はその初めの爻。師に出(いず)るに律を以ってす。臧(よき)にあらざれば凶。

出陣に当たって、規律がもっとも大切。臧とは良いという意味。(漢字の原義には多少解釈の違いがのこりますが・・)良くない態度があれば凶。または、規律を失えば、一時的な良いことも、凶と変わる、ととらえてもいいでしょう。好いことではないので凶とも読み取れます。

人生の最終版の元号です。戦争だけは起こしてほしくない。起こさせてはいけない。これからもし起こるとすれば、先の大戦と同様、アメリカにさせられる戦争だと思います。易は変化の書。今、この元号の時代を占いましたが、この先どんどん変わっていくでしょう。【水風井】、【火風鼎】、【地天泰】の時代となってほしいです。言霊の力を信じて最後に弥栄弥栄。

くんぷう

 

 

2008年4月19日 (土)

「善光寺」判断とチベット問題

*いつもの、「今日の易占い」の記事を書き始めましたら、思わぬ展開となり、チベット問題について長く書いて収集がつかなくなりました。で、この部分だけ先にアップして項を改めて易占いを書きます。よかったらこの記事も読んでくださいませ。

朝刊の記事で長野「善光寺」の聖火リレー出発点返上のニュースを読んでほっとしました。政府のなさりようを眺めていると、ただただ御身大切、経済大切のニュアンスしか伝わってこなくて。このニュースに接して、自分自身が結構「チベット問題」に胸を痛めていたことを改めて感じました。

私たち市井の人間でも、遠く離れている人々の苦しみを知れば心をいためます。苦しい人々に感情移入します。でも、自分にはどうしようもない話と思いがちです。気がかりに全部付き合うわけに行かなくて、身辺雑事に追い回されて、気がかりはなかったことにして日々を過ごします。でも本当にはなかったことにできません。恐れや悲しみという感情は胸の奥深く沈みこんでいるにすぎないからです。

私は、今日「善光寺さん、よく決断してくださった。」という思いが湧き上がってきて、自分自身の気がかりの深さを知りました。

欧米の反応に組するものではないんだけど、座禅しにお寺に通っている者としては、チベットの人々には深い繋がりを感じます。

でも、一方でチベット問題と並んで中国が非難されている、ダルフールの問題にはなかなか関心が向かいません。その背後には、私たちが十分に事態を知らされていないというマスメディアの扱いの問題もあるのでしょうが、私自身が余り関心を示さないということもあるのです。少なくとも自分自身を省みればそう思えます。

ですから今チベットのことに関心を持ち、記事を書こうとしているのは、理論や主義ではなく、私自身につながる感情としての私的感想です。私はそのような立場でしか書くことができません。

一方で、易経を学び、気功を学んでいる身としては、中国びいきの気持ちも少しあります。私の中では、チベット文化への関心と中国文化(少数民族の文化を含めての)への関心は地続きのこととしてあります。

欧米の人々の人権感覚とは違っています。このたびのオリンピックでの言い様に「あなたたちの正義が全てではないでしょう。正義の背後に利権があるのではないの?」という疑念もおさえることができません。

私が行った気功センターでは密接にチベットと行き来をしている様子でした。蔵密(チベット密教)気功を学び取り入れている様子でした。「オンマニペネホン」という呪文や「大悲呪」のチベット音のお経が唱えられていました。中国政府の考え方はいざしらず、そこではチベット文化を滅ぼそうとする気配は微塵も感じられませんでした。それよりはチベットに学ぼうという思いがあるように見えました。有名なお寺にも行きましたが、そのお寺の最奥にはチベット語のお経を流し、チベット土産をならべておくお堂がありました。漢文化とチベット文化は共存できるのでは・・というのは、中国の側からみた意見なのでしょう。

チベットに暮らす人々、世界中に散らばって暮らすチベットの人々からみると、今は幸せではない。どうしたら、チベットの人々が幸せになれるのかと考えると、その地の人々が自ら選び取って自分の信ずる宗教生活ができるようになること。自分の生きる地で気兼ねなく暮らすこと。外国に暮らすチベットの人々も自由に往来できるようにすること。そういう当たり前のことが当たり前にできるようになることが大切と思います。当たり前にできないのは大きな力が働いているから。それを弾圧というのではないでしょうか?

中国政府に弾圧を止め、民族自治を保障してもらうことがその一歩であることは論をまちません。一人一人の意見表明が、国際的な理解と支援の輪になって中国政府を動かす力となることを願っています。

同時に、インドにいられる「ダライラマ法王」にチベットに帰っていただきたい。これは夢物語なんでしょうか?チベットに帰ることができるよう、国際社会で支援して差し上げることはできないのでしょうか?歴史を知らぬ薫風のたわごとではありますが、切に願います。

チベットの人々の平安を願って、この項終わりとします。

2007年5月19日 (土)

少年と母

先日いったんは書いたものの一瞬にして消えてしまった
記事について、形を変えて再度挑戦してみます。

書きたかったことは
くんぷうさんのヒーリングsceneryに緑あふれる写真を投稿した後の
ほのかに後ろめたい思いでした。
私は、自然に対して、心と体が開かれていて、自然との一体感があれば
人はなんとか生きていけるのではないかと考えています。
自然とつながる体が、
人と人との関係をもつなぐことのできる体になるだろう
と考えています。
どんなに苦しい事情を抱えていても
自然に包まれていると癒されて
また、新しい元氣がもらえるのではないかと思います。
そんな思いがあって、「くんぷうさんのヒーリングscenery」というアルバム
を作り更新しています。
水曜日(16日)浅川と多摩川の合流点近くを訪れる機会があり
嬉しく、楽しく写真を撮りました。
帰ってその夜には写真を投稿し終え
少し浮き足立った気分でした。
そのとき
「まてよ。あの福島の少年だって
 自然に抱かれて育ったに違いない。
 緑の野原を駆け抜けたこともあっただろう。
 それなのに、あんなことをしてしまった。
 一番つながっていることが実感できる筈の自分の
 母親を殺してしまった。母親を殺すことは
 自分を殺すことに他ならない。
 少年にとって緑豊かなふるさとの自然は
 何だったのだろう。」
という疑問が湧き起こっていました。
同時に
カウンセラーを名乗って、ブログに何か書いてる
自分が、この大事件をそ知らぬ顔でやりすごして
美しい自然の写真で遊んでいることがちょっぴり
後ろめたくもありました。
で、そんな思いを書いたのです。
が、ちょっとしたボタンミスで一瞬に消えてしまったのです。
で、そのときは
「まだいろいろ事情がわからないから、これは書くべき
記事でなかったのだろう。」
と考えてそのままにしておきました。

で、今朝いろいろ考えているうちに
「やっぱり、少し触れておきたい。」
という思いが残っているのに気がつきました。

母と子の余りの切なさに胸が痛くなります。
二人にとって、この世に生を受け親子の絆を
結んだことはどういう意味があったんだろう。
2007年の今という同時代を生きる
私たちにとってどういう意味があるんだろう。
中でも、そのニュースに接した子どもたち
日本中の若者たちにとってどうなんだろう。
不可解で、不条理で、とっても不快なんだけど

自分には関係ないこととは思えません。
自分の生命の延長線上に、
この親子の姿を感じることができるのです。
・・・
(自分も同じ運命をたどるかも?なんて思っているのでは
ありません。そんな単純なことではないけど・・・)
病んだ少年(まだ鑑定等されてるわけではないですけど)
を、その行為に走らせた原動力となった恐ろしい力は
私たちをも日々突き動かしているような気がするのです。
自分の命にとって最も大切なものは何かを、ほとんど考えもしないで
汚し、断ち切り、傷つけている自分がいることを知っています。

ところで、唐突ですが
玄有宗久和尚はなんておっしゃるんだろう
としきりに思っています。
長崎の少年に対して
「A少年に五百年の暗闇を」(玄有和尚と禅を暮らす、海竜社、2007)と
エッセイで述べられた師は、日本に宗教教育がないことを憂えていらっしゃる。
学校や家庭で「不思議」の提供が必要だとおっしゃっている。
わからないことをわからないままに飲み込むことの大切さ。
神や仏を信じることができること、地獄、極楽の存在をイマジネーションすること
などの大切さをおっしゃってる。
(この文は私の勝手な解釈と大雑把なまとめで
和尚様は、そんなこといってないよとおっしゃるかもです。お許しを)

「殺してみたかった。」といったと新聞には出ていましたが
中学校まで明るく元気で、勉強もスポーツもできた、
人にも優しかったという(週刊誌情報です)少年が、
そんなことを思いつめるには、いったいどんな
心の変遷をたどったのでしょう。

現在の理解中心の学校教育ではなにかしら、子どもが育つのに足りないものがある。
物を消費しまくることで成り立っている経済優先の社会では、子どもも大人も足りないものがある。

人の命はこの世限りのはかないものであり、死んだらそこで一巻の終わりという考え方は、
自分さえ良ければ、今さえよければということを導き出してしまう。
それでは人の命が続いていくのに
足りないものがある。

そう思います。

あの子が悪い。
この子が悪い。
あの親、悪い。
この親、悪い。
あの先生、悪い。
この先生、悪い。
あの人、悪い。
この人、悪い。
相談しよう。
そうしよう。
・・・
といって、悪い人を放逐していって
そして、だれもいなくなった。
なんてことにならないように
祈っています。


どうしても書きたかったことを
きちんと言葉に置き換えることができたか
こころもとないです。
わからないことは、わからないまま
飲み込めないことは、のみこめないまま
不思議を抱え、苦しみを抱えて
それでも元気に生きていける
ことを願っています。
薫風

くんぷうさんの、ともいきブックス

  • 責任編集 熊谷晋一郎: 当事者研究をはじめよう (臨床心理学 増刊第11号)

    責任編集 熊谷晋一郎: 当事者研究をはじめよう (臨床心理学 増刊第11号)
    届いたばかりの雑誌を一気読みしました。 この本で取り上げられている当事者とは、アルコール依存症、薬物依存症、身体障害(難病)、発達障害、摂食障害などの環境からくる困りごとや、主体としての生きづらさを抱えている人達です。著者の多くは当事者であり、回復者であり、支援者であり、研究者であり、発言能力の高い人々です。セルフヘルプ(自助グループ)といわず「研究」ということで、自分の困りごとが外在化され、また研究は他者と共有でき、発信できるので力の回復になるのかと思います。当事者研究を身近なところで身近な仲間たちと始められるとよいですね。そのために「当事者研究をはじめよう」と呼びかけている今号です。『臨床心理学増刊』という心理学の専門雑誌が『みんなの当事者研究』『当事者研究と専門知』と特集を組み今回第3弾が最終回とのこと。3号続けて読んで、今号の読後感想は、議論されていることはもっともだけど、皆さんが知的能力の高い人達。先往く人として道を拓いていってほしいですが、そこにたどり着けない地べたを這うような人々の存在を忘れてはいけないと思いました。そのような多重の苦しみを抱えた方とカウンセリングしたり(くんぷうのカウンセリングは安いです)、幼児保育や教育の現場で出会ったり、また障害に関する本を仲間で読みあったりする中で培ったおもいです。 さて、自分自身のこと。25年前に地元でセルフヘルプグループ(自助グループ)を小人数で始めました。その時の主旨は「私のことは私が当事者」ということでした。家族や仕事の問題に悩みながらも、まずはこの自分。私自身を私が助けようということでした。もし、そこを深く掘り下げていったら、○○障害であったり、○○依存症であったりする自分や家族がいたかもしれません。当事者研究という言葉に深く惹かれるものがあるのは、そのせいなのかと思います。

  • ドリアン助川: 線量計と奥の細道

    ドリアン助川: 線量計と奥の細道
    昨年のうちに読んでいたのに、取り上げるのが遅くなりました。書こう書こうと思っているので、常に作業机の脇に置いてあるんだけど、いつも慌ただしくて丁寧に文が書けない気分なのです。 『山海記(せんがいき)』同様に紀行文学の流れを汲みながら、3・11を刻印づけて後世に残る作品になるのではと思います。2018年に出版されましたが、作者が奥の細道をたどる自転車の旅をしたのは2012年8月からです。そうです、震災の次の年。まだ原発事故の恐ろしさが人々の生活の中に生々しく残っているとき。その時に思い立って、線量計を自転車のハンドルに付けたバッグに入れて、芭蕉がたどった道を江戸から陸奥(みちのく)へ、ぐるっと回って北陸から琵琶湖、関ヶ原、桑名までの旅です。道中の歌枕や史跡の名称を一つ一つ挙げると、なにかしら懐かしく思ってしまう私たちです。芭蕉も先人たちの歌枕を追って旅しました。ドリアンさんはその芭蕉を追いかけながら、震災から1年半の道を自転車単独行で旅したのです。那須の農場で、線量を書くことが良いのかどうか悩みます。子ども達の施設の傍らに、除染したという放射能まみれの土がブルーシートにただ覆われているだけで放置されている現状に戦慄します。福島のこと、あれこれ読んだり聞いたりしてきましたけど、この本で描かれている光景の多くはしりませんでした。それは、それぞれ独自で単一の日常の生活空間の中で、旅をしながら出会っていった現実なのです。また、旅をしたのが12年、上梓されたのは18年。作中にも書かれていますが、どこそこが何マイクロシーベルトだと記すには相当のためらいがあったことでしょう。今でも風評被害が言われています。(風評どころでない生活を侵害されている被害が現実に続いています)福島に関わりたくない、もう考えたくもないという人々が多く存在している(そのように持って行かれた)こともまた現実です。出版されて、この本を手にすることができて良かったと思います。 この本はでも、放射能事故後の現実を知らせるためだけに書かれた本ではないと思います。詩人の感性がその現実の中の旅を欲していた。芭蕉だったらどう見るか、どう旅するか?そこを体験したかったのではないでしょうか? 旅の面白さ、旅で出会う人々との交流の面白さを存分に味わえます。随所で「ドリアンさん、いい人だなあ。ドリアンさんの友達いいなあ」とほっこりします。この旅を追いかけてみたいと思います。ドリアン助川は、やはり西行や芭蕉に連なる歌詠み人だなあ。

  • 佐伯 一麦: 山海記

    佐伯 一麦: 山海記
    日本一長い路線バスの旅のエッセイ?と思いきや、登場人物「彼」を主人公にした物語?かもしれない。どこまでがリアルな旅の記録なのか、どこにフィクションが挟まっているのか?私はまるで、作者が「彼」のように思え、なおかつ彼のバス旅に同行している気分で読んだ。実は大和八木から新宮に至るこのバス路線の旅に以前からあこがれていて、いつか近い将来に必ず行くと思い定めていたルートであったからでもあり、主人公の旅の動機が、東日本大震災とその年に起った紀伊半島の大水害の記憶を遡る旅でもあったからでもある。「彼」は、青年時代からの親友の死を受け入れがたく、なぜか水害が刻印されている奈良県十津川沿いの路線バスの旅に出る。あの大震災の時、仙台で被災し直接津波の影響は受けなかったものの、生活の上では大きな被災であった。日本人と災害について思考を巡らせているうちに、この路線にたどり着く。思いが旅を呼ぶというしくみは、芭蕉、西行を思い起すまでもなく、この列島に暮らすある種の人間の根っこの部分に組み込まれているようにおもう。淡々とバス停の地名とその土地の(十津川の水害、北海道への移民、天誅組、南朝などの)人々の生活や歴史と、バスに乗り合わせた乗客や運転手の動向が描かれてきた作品は、ちょうど路線の半ばにさしかかる谷瀬のつり橋でクライマックスに至る。つり橋の揺らぎの中で受け入れることができなかった友人の死を受け入れ、そして自分自身の受け入れがたい被虐待の記憶が重なってくる。…こんな紹介をしていたら、何文字かいてもこの本の真実にいたらない。作品は(バスの旅)は、唐突に中断される。きっと続きが書かれているだろうと期待している。その作品にならって、私もここで中断しよう。土地と時間と気象の深い絡まりの中で、人は生きている。書くことと旅することのなんと深い世界だろうか。

  • 木ノ戸昌幸: まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験

    木ノ戸昌幸: まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験
    この本は障害福祉に関する団体NPO法人「スウィング」の活動の記録であり、世に投げかけられた挑戦状でもあります。障害者と呼ばれる人たちの飾らない本音丸出しの生き方・働き方を紹介しています。「スウィング」メンバーの詩が素敵です。座談会も面白い。活動もユニークです。編著者は法人代表の若者。子供の時から、親の期待・教師の期待・自分自身の期待にがんじがらめになり、窮屈に生きてきて追い詰められてしまった著者は、22歳の時に、「大学生の不登校を考えるシンポジウム」に参加して自分自身の「生きづらさ」に正面から向かい合うようになりました。就職はしないと決めて様々な活動をする中で友人から「毎日笑えるよ」と声をかけられて「障害福祉」と呼ばれる世界に呼び込まれます。NPOとして活動を作り上げていく過程が面白い。この本を読むと、障害者と呼ばれる人たちの常識に合わせて生きることのできなさが、反転して常識に縛られない圧倒的な自由さと感じることができます。「この本のどこかしこに、散りばめられた金言、箴言、詩の言葉、はては戯言。読みながら、「え!そうなの?」と常識にひびが入り、「そうそう。そうなんだよね」と共感し、「え、そんなでいいの?それなら楽だよね」と自分も緩んでいく。そんな体験をしました。なにをくよくよ悩んで、日々を回していくのに疲れ果てているの‼「スウィング」さんの生き方を見らないましょうよと、読書中には思ったものでした。でも、読後4日目、常識の力は侮れません。まだまだ縛られていますが、作中に挟まれたたくさんの写真を思い浮かべて、私も揺れて、緩んで暮らしたいと思ったり思わなかったり。

  • 東畑 開人: 野の医者は笑う: 心の治療とは何か?

    東畑 開人: 野の医者は笑う: 心の治療とは何か?
    この本を見つけたときは、興奮しました。私と同じようなことを考えている人がいる!でもって語り口もフィールドワークの対象となっている沖縄のヒーリング&セラピー界隈の事情も面白くて一気読みしました。科学的なお墨付きを得ていない方法で癒しに関わっている人達を「野の医者」と定義して、癒しの施療を受けながら、実地調査した(どこかからの助成金で)成果物としてまとめた本です(論文もどこかにあるでしょうけど、この1冊で十分です)読み終えて心に残ったことは、野の医者は傷ついたヒーラーであるということ。当たり前の話です。医者も看護師も心理士もそういった人が多いですし、私自身もそうです。本文でも、フロイトやユングにもふれられています。そうは言いながら、経済論理が大きくありようを決めていることが述べられています。「経済的に豊かになるために開業した」と書かれている野の医者さん達ですが、ちゃんとした就職口を得るために臨床心理士になる人とどこが違うのでしょうね?沖縄のユタの癒しについては踏み込んでいません。心に残ったのは自由な発想でプリコラージュした技法の面白さです。野の医者業界の古参の人たちには、河合隼雄さんの影響が残っているという点も面白かった。 著者は臨床心理士で、大学でも教えていらっしゃいますし、東京の一等地でセラピールームを開いてもいらっしゃるようですから、私からみたら野の医者とはとても言えない方ですが、お金さえかければアクセスできるというのは野の医者業界に近い在り方かもしれません。京都大学で臨床心理学を修められた正統派セラピストです。読み終えて、この本に出合った時の興奮は冷めていました。科学的と定義することのむなしさが残っています。

  • 津田 真人: 「ポリヴェーガル理論」を読む -からだ・こころ・社会-

    津田 真人: 「ポリヴェーガル理論」を読む -からだ・こころ・社会-
    最近のニュースに接すると、個人が「自分のからだとこころと社会」につながることを失ってしまった現代社会の悲劇のように思えて、関係者どなたにも痛ましい思いが湧きます。そういった現代日本の社会にシンクロ的に「今でしょ」としてこの本が上梓されたと思います。届いたばかりの新しい本を紹介します。1年をかけて読めたらよいなあと思います。著者は社会学を研究した学究ですが、鍼灸・あんま・マッサージ師、精神保健福祉士、ゲシュタルトセラピストなど複数の顔を持つ現代随一の治療家です。副題に「こころ・からだ・社会」とあるように、からだやこころを元気にするために社会(3者性のつながり)まで視野に入れて関わることの重要性と意味を、この本でつたえてくれていると思います。まだ、〈凡例〉と〈はじめに〉しか読んでいないのですが、わくわくしています。複雑で難解な「ポリヴェーガル(多重迷走神経)理論」はトラウマやストレスの治療には欠かせない手がかりを与えてくれるものとして世界中から注目されています。ストレスの「逃げるか戦うか反応」以外に第3の反応として、フリーズ反応があるということ、それをどう扱うかという視点を生物の脳の進化を背景にした神経理論として伝えてくれているのです。今、カウンセリングの中でも「フリーズ≒解離」を扱わないでは進まないケースが多いです。その難解な理論を著者がどう読み解いたのか、どう解釈してこれからの治療や社会につなげていくのか、難しいのに(聞きなれない専門用語が多い)、すらすらと読み進めて行けそうです。著者が面白がりながら、誠実に読み解いていくその頭の活動をすべて文字に起こしてくださったような本です。ワクワク感が伝染しそうで楽しみです。

  • 東山 彰良: 僕が殺した人と僕を殺した人

    東山 彰良: 僕が殺した人と僕を殺した人
    「1984年。私たちは13歳だった。」台湾を舞台にした3人の少年たちの友情と、30年後の連続殺人事件。描かれた少年たちも取り巻く大人たちも、街の風景も南国の熱風に蒸されたように熱い。この作家の書く濃密な人間関係と活気に惹かれて、私は、読む。ほとんど一気読みに近い、疾走感がたまらない。サスペンスドラマは見ないんだけど…。読者の脳内に映像が流れる。もうすっかり日本の暮らしからは失われてしまった、互いに深くかかわりあう関係性に郷愁を覚える。

  • ドリアン助川: 新宿の猫

    ドリアン助川: 新宿の猫
    僕は、色弱であることを理由に希望するマスコミや映像業・広告の業界からは「色覚異常受験不可」で門前払いをされ、アルバイトしながら食いつないでいた。テレビのバラエティ番組の構成作家に拾われて見習いとしての修業を始めたけど、世間と相いれない気持ちも出てきて落ち着かない。唯一、新宿ゴールデン街の古くて狭いバーで、ホッピーを飲みながら、「猫じゃん」というギャンブルに興じている仲間たちと、猫の家族図を描いたアルバイトの女の子夢ちゃんと過ごす時間には、ヒリヒリした気分から解放され落ち着ける。新宿という町と猫たちへの愛があふれ、夢ちゃんと僕とのエレジー。挿入詩が平易な言葉で奥深い。猫好きにはたまらない。

  • 池上 英子: 自閉症という知性 (NHK出版新書 580)

    池上 英子: 自閉症という知性 (NHK出版新書 580)
    自閉症と言う言葉で印象付けられたイメージってどんなものでしょう?コミュニケーションが苦手?感覚が過敏?こだわりがある?想像力の障害がある?そんなマイナスイメージと共に、障害があって生きづらさを抱えていて、少数派であることにつらい思いをしている人っていうような社会的弱者なイメージを持っている人も多いかと思います。この本を読むと、そんな世間一般の自閉症当事者の「かわいそうな人」イメージが、一方的な見方でしかないことに気づかされます。視覚優位な認知特性を持つ人や、聴覚や嗅覚などの感受性の強い人たちの脳内奥深くで繰り広げられる、この世界の把握の仕方、知性の発露の仕方がどんなに広くて深いか、日米の事例を通して描かれています。カウンセリングや発達支援の現場で日々に出会う大人や子どもさんの姿を思い浮かべながら読みました。日本語で書かれた本ですが、著者はニューヨーク在住の社会学者。

  • 寺澤 捷年: 和漢診療学――あたらしい漢方 (岩波新書)

    寺澤 捷年: 和漢診療学――あたらしい漢方 (岩波新書)
    西洋医学で神経内科学や中枢神経解剖学を修めた著者は、一方で若いころから身近であった漢方医学も研究してきた。アナログの漢方医学(とデジタル(心身二元論)の西洋医学を融合させた医学を「和漢診療学」という体系で実践と研究をされてきた。その集大成をこれから医学を志す若者に伝えたいとの志で編まれたこの新書。圧巻は、西洋医学では不定愁訴としてしか扱われなかった、でも患者にとっては辛い様々な症例を漢方薬で軽くして行く症例報告と最先端の脳神経科学や薬理学で裏打ちされた解説が併せて述べられているところである。糖尿病や高血圧などストレス性の数々の症状について納得がいく。読んでもよくわからないのは、漢方、処方と言う時の方、とその人の体の状態を証としてみる方証相対論という部分である。勝手に薬局に行って何とかという漢方薬を買うのではいけないな、今度漢方医にかかってみようと思い立った。明治維新に捨ててきた数々の文化的な知恵や知見の大切さが実感された。温故知新、素晴らしい哉。

  • 濱口 瑛士: 書くことと描くこと -ディスレクシアだからこそできること-

    濱口 瑛士: 書くことと描くこと -ディスレクシアだからこそできること-
    著者は、東大先端研の「異才発掘プロジェクトROCKET]第1期スカラー生。ディスレクシア(読み書き障害)であった彼にとって、学校生活はどんなにか苦しかったことでしょう。音読と漢字テストが日常風景で、できないとみんなの前で馬鹿にされる。何より本人が苦痛を感じているのに、誰もその苦痛に配慮しない。今も日本中で苦しむ人たちがいることに気づいていきたい。本書は、12歳の時に「黒板に描けなかった夢~12歳学校からはみ出した少年画家の内なる世界」を世に問うた著者の2冊目の画集。第1部「書けなくたって、よめなくたって」で描かれたディスレクシアの世界、素晴らしいです。よーく伝わります。「そうだったのか!」。第2部の作品集。癒されます。不思議な味わい。繰り返しの多い、しかし丁寧な筆致で柔らく描かれた瑛士ワールド。特別付録児童憲章をカタチに。この本は図書館の7(芸術)の棚にありました。絵本として出版して、子どもやヤングの棚に並べてほしい。

  • 安田 菜津紀: しあわせの牛乳 (ポプラ社ノンフィクション―生きかた)

    安田 菜津紀: しあわせの牛乳 (ポプラ社ノンフィクション―生きかた)
    岩手県岩泉市にある中洞(なかほら)牧場は、日本では珍しい完全放し飼いの牧場です。この飼い方を山地酪農と言うそうです。森や山の中で自然に育った(手入れはされています。芝や牧草の栽培もされていますが、農薬は使わない。肥料は牛たちの糞とそれを分解してくれる生き物たちの排泄物、落ち葉など)そこでは、牛たちは自由に歩き、遊び、食べ、寝て、水は谷川や池に来て自由に飲みます。子牛はお母さんのおっぱいが飲めます。そんな幸せな暮らしをしている牛たちの牛乳はとても美味しい。濃厚飼料を使わないのでちょっぴり乳脂肪が少ないそう。こんな夢みたいな酪農が実現したのは、中洞さんが小さいころからあこがれていた緑の山地・自然の中で牛を飼うということを実現させるための苦難と工夫があったからなのです。小学校中級から読めます。東京にいて、ここの牛乳飲めるかな?と調べてみたら通販サイトで買えるみたいです。

  • 広瀬 宏之: 発達障害支援のコツ

    広瀬 宏之: 発達障害支援のコツ
    著者は児童精神科医。本書は神奈川LD協会冬のセミナー2018「発達障害を支援するための基本の手引き」の講演録に加筆したものと、あとがきにあります。内容は専門的な最新の知見をもとに、医者やセラピストなどの治療者にも、保育や教育の支援者にも、家族や大人の当事者にもわかりやすいものとなっています。言葉の一つ一つが含蓄があって深いんです。一日1ページ、開いたところを読んで、今日のセラピーに活かしています。例えば「グレーゾーンと言う言葉」では、「グレーゾーンと言う言葉は非常に危険です。支援が必要な人はグレーゾーンではないんです」「グレーゾーンだから支援をしないで様子を見ていて不適応が嵩じていってしまうのが一番避けたいパターンです」とあります。この子(人)にどんな支援が必要なのか見抜く目を持ちたいです。

  • マイケル モーパーゴ: 希望の海へ

    マイケル モーパーゴ: 希望の海へ
    現代イギリス児童文学を代表する作家の作品。背景には、オーストラリアへの強制的な児童移民の歴史がある。第二次世界大戦後の戦災孤児アーサーは訳が分からないままに、オーストラリアに送られた。イギリスを発つ前に孤児院で姉のキティと別れる時一つの鍵を首にかけてもらったことが、自分自身が確かに生まれてきて存在していた、姉もいたという証となっている。この物語は2部仕立てで、前半はアーサーが書き残した自分史ノートの物語。オーストラリアでは、奴隷的な労働が待っていた。悲惨な生活から兄とも慕うマーティと共に逃げ出し、孤児となった野生動物を救済しているメグズおばさんに拾われた。ヨットを作る船大工の仕事をしたり、漁船に乗ったりした後、ベトナム戦争に従軍し心にダメージを受けて帰還した。病院で出会ったクレタ島からの移民を父に持つナースのジータと出会い幸せな家庭を築くまでの物語。第2部はアーサー亡き後、娘のアリー(18歳の少女)が父が作った決して沈まない小型ヨット・キティ4号に乗ってオーストラリアからイギリスまで地球半周の単独航海をする物語。父の鍵を首に幾多の困難をかいくぐりイギリスに到着し、鍵の謎とキティに出会うまでが、現代の物語らしく、メールやインターネットでの情報発信、宇宙飛行士等が登場して物語を支える。モーパーゴの物語は最後までぐいぐいひきつけながら声高ではないが、人の生き方の多様性を伝えて夢中にさせる。ヤングに読んでほしい。

  • ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)

    ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)
    この本は、2017年、ミステリー専門のエドガー賞児童図書部門を受賞しました。主人公ダニエルと共に殺人事件かもしれない謎に挑戦してワクワクしながら読み進めていけます。しかし、単純な謎解き物語ではなく、全編を覆っているのは、OCDの症状から逃れられない苦しみです。不安があると寝る前に2時間でも3時間でも儀式と呼ばれる強迫行為をしなければ就眠できないのです。ダニエルが「ザップ」と呼ぶ強迫観念が侵入してきて「○○をしろ。ダメだ。やり直せ」と命令し、ダニエルは手洗いやスイッチのオンオフ、歯磨きなどを繰り返しせざるを得ません。不合理と分かっていても止めることができません。涙を流しながら、し続ける苦悩がリアルに描かれています。作者もこの症状に苦しんだ当事者だそうです。 13歳のダニエルは、アメフトをやっているけど、とても自信がありません。蹴るだけや走るだけならできるのですが、試合でキックをする場面になるととたんに「ザップ」が襲ってくるし・・・。ある時スタメンの少年が怪我をして試合に出ざるを得なくなりました。謎解き、スポーツのヒーロー物語、異性への関心と友情が描かれ、ダニエルが密かに書き続けている「人類最後の子ども」という物語までが挿入されています。これでもかとばかりのエンターテイメント要素の投入です。作者は最後まで読んで欲しかったのですね。 OCDは、「強迫症」とも言われる病気です。子どもの有病率は2%前後とも言われています。この本の扉の裏には「OCDに向き合うあなたへ /ひとりでは見つからない希望も/助けを借りれば、かならず見つかります」と書かれています。ずっと秘密にしていたことを人に話すのには勇気がいります。OCDに苦しむ子どもにも大人にも楽しく読めて、回復への希望をもつきっかけになりそうな本です。OCDを知らない人にもこの病気について理解を深めていってほしいです。

  • エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)

    エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)
    これも少し前の児童書です。小学校上級から中学生くらいの人にお薦めですが、大人が読んでも面白いことは受け合います。カナダのある街に転校してきた車いすの少年デ―ヴィッドとバスケ好きの1学年上の少年ショーンのボーイ・ミ―ツ・ボーイの友情物語です。強がっていたデ―ヴィッドの心の奥底の寂しさと辛さに触れて、障害について思いを深めました。ショーンが車椅子体験をする場面もリアルです。

  • 京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)

    京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)
    児童書です。ロンドンパラリンピックの前に出版された古い本ですが、一連のリアルつながりで、読みました。 自動車事故で脊椎損傷を負って下半身はおろか、背筋、腹筋も使えなかったサッカーJリーガーだった選手が、車椅子バスケでスポーツ選手として復活するstoryに子ども達は勇気づけられることでしょう。「夢に向かって行動を起せば、必ず出会いがある」という素的な言葉に出会いました。

  • 井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~

    井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~
    漫画家井上雄彦と取材チームが、リオ・パラリンピックの車椅子バスケを取材しました。マンガ「リアル」の登場人物たちを絡めながら、現実の試合と選手たちの姿を1冊の本にまとめてくれています。写真が素晴らしい。そして、リアルの原画もあり、選手たちのプロフィールも語りも読みごたえがありました。2020の東京パラりンピックまでに、「リアル」復活を熱望します!

  • 井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)

    井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)
    暮れだったか、正月だったか?テレビで車椅子バスケの選手京谷和幸さんの特集を見ました。その粘り強さと目標に取り組む熱さに感動しました。「リアル」のモデルの一人だということが知らされ、さっそくこの漫画を手に入れました。素晴らしい漫画です。劇画中の登場人物の心情と情念が本当にリアルに描かれている。単なるスポーツ根性物語ではないです。登場人物の生き方と個性が迫ってきます。障害に向き合う姿が生々しい。リアルでありながらファンタジーも含んでいて、私はプロレスラー・スコーピオン白鳥に感動しました。プロセスを知らないおばはんを感動させる井上雄彦さんの漫画の迫力!残念ながら14巻までしか描かれていません。続きが読みたい。(息子が古本屋で既刊全て見付けてくれました)。そういえばバガボンドも途中だとか。それも息子に進められ以前に読みましたっけ。スラムダンクは読んでいません。

  • フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)

    フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)
    この本が出版された2013年に一度読み、今回二度目に読んで、このリストに紹介します。主人公マルセロは弁護士のお父さんと看護師のお母さんを持つ、アスペルガー障害に良く似た症状のある17歳。小学校入学以来、私立でお金がかかる障害児への支援が専門の学校パターソンに通っています。高校の最終学年を控えた夏休み、お父さんは、弁護士事務所というリアルな世界でアルバイトすることを求めます。マルセロはパターソンの農場で生まれたポニーの子馬を世話するアルバイトがしたいのですが、お父さんは強硬です。リアルな世界のアルバイトを成功裏に負えたなら最終学年までパターソンにいて良いと、交換条件を出されてしぶしぶお父さんの事務所で働くことになりました。 マルセロはオフィスの中で、衝撃的な写真に出会います。顔面の半分が削り取られている映像なのに、その子の瞳が強い思いを発して迫ってきます。直属の先輩ジャスミンと一緒にその子を探し出そうとします。ここからはミステリー仕立てですのであまり詳しくは書けません。 マルセロにとってリアルワールドとは、障害があろうとなかろうと、思春期の男性として通過しなければならない世界です。性の芽生えや、異性への関心もテーマです。一方で裁判の中で争われる正義と不正義の交錯する世界もあります。自己の実感に基づいた行動を通して世界へ関わろうとするマルセロは嘘がないという意味で最もリアルな存在かもしれません。現代アメリカが抱える貧困や差別などのリアルな現実も描かれています。 自分の思いを的確、適正な言葉で表現し、コミュニケーションに反映させたいと苦闘するマルセロが発達障害を理解する上で参考になります。私も自分の思いにぴったりした言葉を探して苦労をなさっている方々と出会っています。会話がゆっくりだから知的に劣っているわけではないのです。何も言わないからといって、何も考えていないわけでもないのです。その辺りの当事者としての在りよう(叙述)に大いに学ばされました。発達障害に関心のある方もない方も、現代アメリカ小説として「時代を映す鏡」として楽しめる作品ではないかと思います