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カテゴリー「心と体」の13件の記事

2018年10月30日 (火)

柚子のフルーツポマンダー


日曜日に柚子のポプリをつくりました。ハーブ農園をやっている地元の友人が講師です。

これは、フルーツポマンダーです。殺菌、消臭作用があることから中世の西洋では魔除けにも用いられていたとのこと。ポマンダーは、香り玉というような意味だそうです。柚子の香りに包まれて、ポマンダーをつくるのは至福の時間でした。

リボンがかかった茶色いボールが出来上がりです。写真は去年作ったものです。

今年のものはまだ生で、スパイスにまみれています。

写真のは、すっかり乾燥して小さくなっています。茶色いのは、スパイスの色です。クローブ(丁字の花蕾を乾燥させた香辛料)を刺した柚子にシナモンやカルダモンなどを調合したスパイスをまぶします。一か月ほど乾燥させてリボンをかければできあがり。柚子の香りとスパイスの香りが相まって、とても心が癒されますよ。丁字を刺すのは単純な繰り返し作業です。これも副交感神経を優位にして穏やかな気分にいざなってくれます。

よかったら、いかがですか?

2017年7月23日 (日)

エッセイー迷い道、探り道

1年前の相模原殺傷事件、あの日が近づいてきました。新聞報道では、色々な方のインタビューなどが載っています。私が気になるのは、なくなられた方がどなただったのか?どんな人生だったのか?ということです。いつだったか、NHKの放送でスケッチでその人らしさを表現していて、心が揺さぶられました。一人一人の死を悼みたいのです。名前のない死ということがとても切ないです。

「重い知恵遅れのある・・・」と表現される方の頭の中、脳の活動を外から見てもわかりません。その人が言葉を用いられなくても日々の表情で、深い人間的な生を生きているということが十分に推測できることもあるでしょう。私は、障害について描かれた子どもの本を良く読みますので、そういう方の内面のエネルギーや力強さ、魂の純真さを読み取ることが多いです。

重い行動障害があって・・・、と表現される方が何もわからない状態で行動障害を起こしているとも思えません。命いっぱいのストレス対処の表現や抗議の表現かもしれません。

その方の周りの家族や介護者も決してネガティブな思いだけではないということも、本当は分かるはずです。どれだけ、お互いに大切に思いあっているか、絆が深いかということも。

犯人の青年は、言葉にならない思いを読み取ることがとても苦手な人だったのかな?と思います。

犯人を許すことはできないですが、彼もまた、現代日本の犠牲者と思います。どんなにか、自分の人生を肯定できなくて苦しみ続けてきたことかと思います。生きている値打ちがないと、どれほど自分を責めてきたことか?

世界中で今、ひどい事態が進行しているように思います。加速をつけて!真実も真理もいらない。ポスト・トルースの時代。

世界中が、お金を稼ぐ一部の人の奴隷です。金を稼がなければ生きている値打ちがない。その価値観が犯人です。力のあるものが自由に力を振るってよいという価値観も犯人です。

話は、あちらこちらに飛びますが、昨日の毎日新聞で、「身体拘束を考える」というコラムを読みました。ニュージーランド人のケリーさんという方は来日後、九州の小中学校で英語を教えていたけど、関東地方に来た際に持病の双極性障害が悪化して、措置入院(自傷他害の恐れがあるとして自治体が強制入院させる措置)となり、すぐに両手両足、腰をベッドに拘束され、10日後になくなられたそうです。体を長時間動かせなかったことで血栓ができて肺塞栓症(エコノミー症候群)になった可能性が高いそうです。

言葉の通じない異国の精神病院で長時間の身体拘束、その間の苦痛を思うと、やるせないです。

施設や病院に長期に居ることをできるだけ減らして、身体拘束もやめて、街中で一緒に暮らす社会の実現を願ってやみません。そのために必要なお金は、社会が合意すれば、十分に賄えるはずの現代と思うのですが・・・。また、それができる社会の方が結局は誰にとっても住みよい社会となるはずですが・・・。

今日のメッセージの前に少し思いを書こうとして、長分になってしまいました。

易経からのメッセ―ジと分けますね。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

くんぷう

2015年1月 4日 (日)

認知行動カウンセリング研究会、NPO認定へ。山地剥→水山蹇→水雷屯!!!

このブログでも、何度も言及してきました認知行動カウンセリング研究会について、昨日、易を立てました。こんなこともあろうか?!とその内容をご紹介します。驚きの難卦の連続でした!!

古くからの読者の皆様はご存知ですが、ブログ、カウンセリングルーム、認知行動カウンセリング研究会はほとんど同時に発足しています。正規雇用の退職後、認定カウンセラーの資格を得て、新たな人生を歩き始めたとき何もない荒野の向こうに見つめていた、幻のような道でした。無事に続けてこられたことに深い感慨があります。かすかながら小路ができてきたことを思えば、道(タオ)への感謝に身が包まれます。

・・・そうです。昨夜はこの感謝が無くて、義務感いっぱいで易を立てたのでした。

その結果。

Q(占的)「NPOそれいゆ(略称)」はいかがでしょうか?

A(得卦)「山地剥・初爻」足元から崩れる。山崩れの卦。

Q「それでは、私はどうすれば良いですか?

A「水山蹇・5爻」大いに蹇(ゆきなや)む。朋あり。・・・たしかに仲間はいますが・・・

Q「助成金のテーマは何を?」NPO活動のための助成金申請期限が迫っていて、緊急の文書仕事となっているので。

A「水雷屯・5爻」生みの苦しみ。その膏(めぐみ)を屯(とどこおら)す。小貞吉。大貞凶。

・・・・以上のような結果でした。娘とホームページの件で喧嘩して、やる気が落ちているところにこの難卦の連続・・・

すっかりやる気をなくしていました・・・と言うより、やる気がない状態で易を立てました。

今日、日常生活に使う易では、天雷无妄・5爻をいただいて、認知再構成はすらすらと進みました。まずは天の道を信じて、できることをやっていけばよいのです。「薬無くしして喜び有り」ですから、助成金がなくてもできる範囲のことで十分な結果になることと思います。

ところで、易は「初筮は告ぐ。再三すれば涜(けがれる)」ものです。同じ内容、目的で易を立てなおすのは良くないです。ですから、三度も易を立てても、その目的は違っています。

初筮の結果は今も有効です。たぶんずっと。このNPOを【山地剥】の結果に晒らさないためには、小人の勢いを削いで、貞を滅ぼさない努力をしなければなりません。自分自身の中の小人性を払しょくする努力も必要。

書く努力も必要でしょう。さて、鉢巻きを巻き直して、これから助成金申請の文書作りをします。今日は无妄ですから、なんとかなるでしょう。

くんぷう

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2010年5月 4日 (火)

認知行動療法レッスン・・・その2 自動思考とは?

以前に認知行動療法での、ストレス場面で人がする反応を四つの機能からみていくやり方を紹介しましたが、良くわかっていただくようには書けていないなあ、と反省があります。

どのようにすれば、わかりやすく説明できるのか?考え続けています。

ときどき、自分のことを例にして、書いてみたいと思います。

ストレスというのは、外界から生体に向けての圧力ととらえてください。

結婚するのでも、昇進でも、引っ越しでもストレスです。

小さなストレスなら、生きている限りいつでもどこでも、身の周りに起こっています。

老後の暮らし向きでも、晩のおかずを考えることでも、自分の中で「いやだなあ。」と思い、「やっていけるのかしら?」と不安や心配を覚えていれば大きなストレスになっているのかもしれません。

反対に「ケセラセラ、明日は明日」、「お料理大好き」と思えば、大したことではないのです。

新入社員や、新入生の方々にとって、今は楽しい連休ですが、そろそろ「ああ、もうすぐ休みも終わり。また行くのか?いやだなあ。忙しい思いに耐えられるかなあ。耐えられそうもないかも。」などと考え始めていらっしゃる方もおいでになることでしょう。

そこが、「また、行くのか。いやだなあ。でもまあ、ぼちぼちやるか。なんとかなるだろう。」と切り替えれば、少し楽になりそうですよね。連休明けで学校や会社行くのは誰しもいやなものですから。

「いやなのは、自分だけじゃない。」と思うだけでも、いいかもです。自然の反応ですから。

「さあ、休みが明けるぞ。ばりばり働くぞ。」「どんどん勉強するぞ。」そんな人の方が少数派に思えます。

抑うつ傾向の方は、ご自分の中の「いやだなあ。」に重きを置きすぎて、「自分には、耐えられない。」と、認知が耐えられない方へ偏りがちです。

でも耐えられない→休養→回復という筋道もありますから、そういう考え方が一概に悪いとも言い切れません。生体がより大きなダメージを受けない方に持って行くのが肝要です。

「耐えられない。」そう考えれば考えるほど、ストレスが強く感じられ、マイナスの感情が浮かび、行動に影響し、体にも反応がでる。

認知行動療法では、1、認知(思考・イメージ) 2、感情・気分 3、行動 4、身体

の4つの機能が互いに繋がりあって、起こっているととらえます。

その中で、感情と身体は、思考と行動の反映であって意識して変えられるものではない。でも、考え方と行動は意識して変えられる。

だから、ストレスフルな考え方が習慣になっていて、自分を苦しめているようだったら、そこを見ていって、気づいて、もっと楽な考え方も取り入れようとするのが認知療法です。

認知だけ見ていても、無意識下のことであったり、「思わず」ぱっと反応していたりで、慣れるまでは何を考えていたのか、自分自身でもよくわかりません。

行動や感情に先に気づくことも多いです。なぜなら、私たちは生きていく上で、今までに自分なりのスタイルを作ってきました。その多くは習慣ですから、説明不要な形で、瞬間に思い、感じ、反応して行動し、体に変化を来しているのです。

瞬間に思い、感じているところを引っ張り出そうとするのが、「自動思考を捕まえる」レッスンです。

慣れてきたら、ちょっとした気分の変化や体の感じでわかってきます。「あ、また。」と思うようなところに隠されています。繰り返される怒りや失敗に気をつけていましょう。

例1 信号の青のランプが点滅すると、走り出します。

「急げ。」と自動的に思ったはずですが、普通その考えさえも頭の中に浮かんでは来ません。

ましてや、その背景にある「赤になったら渡れない。命があぶない。」というスキーマ(自分を形作っている枠組みになるような信念)などちらりとも浮かびません。

例2 子どもの科学読み物の絵本(蝶の観察)を読んでいた。葉っぱの裏にぎっしりと産み付けられた卵の写真。その殻を食い破って、ぞろぞろと這い出る毛虫の赤ちゃんの写真。半端でない数!その場面を見て、「ギャッ。」思わず本を投げ出した。

このときの自動思考は「気持ち悪い。この場面を見るのは耐えられない」ですが、実際には見た瞬間にはもう、本を放り出していますから、考えた事さえ捕まえられないのです。

似たような反応は、ゴキブリさんとの遭遇でもあります。瞬間に何か掴んで潰そうとしている。

例1の場合は、ほんとに命に関わる状況なら、走って当然ですし、まだ余裕があるなら、走る必要もないことですから、一瞬まてば、状況判断ができます。チカチカを見たら即、走るのではなく、別の行動がとれるようになったらしめたものです。

いまじゃあ、もうのんびりしすぎていて、逆にやばいかも。

例2は、認知行動療法を学び始めてすぐに私に起こった出来事ですが、本を投げた後、

「待てよ。今何か考えたはずだ。」と自動思考探しをした後、「見るに耐えない。」という認知に気が付きました。「気持ち悪くても、見ることはできるはずだ。」と考え直して、実際にその本を読みなおしました。(気持ち悪さは消えてはいませんが)読み通せてよかったです。感動の蝶の観察記録でした。

このところの私を支配している自動思考は、どうやら「もうちょっといいだろう。」ということかなと、思います。

そう考えた現場を捕まえれば、「もう駄目だ。」と自分を抑えて、切り上げさせることができそうですが

・・・、ここでいったん、中断。「もう駄目」に随って洗濯もの干して来ます。

考え考え書いていて、でも頭の片隅で洗濯機の音が止まったの聞いていたのですね。

「もう、書くの止めなくちゃあ。」「もうちょっと、いいだろう。」そんな自動思考が起こっているのに、改めて気が付くわけです。

・・・家事を一通りして、食事もして、復帰しました。

今日は、自動思考を捕まえるレッスンでしたね。

・・・

たとえば、パチンコであまり当たらず、予定よりも早くお金が無くなった。そこでカードを持っていたら「もうちょっといいだろう。」が出てきて、貯金をおろしてしまう。

パチンコやアルコールなど、依存症に近い方が、こういう「もうちょっとだけいいだろう。」から離脱するのは、かなり難しいです。

どんなに、認知を作り変えても、「もうちょっといいは、ちょっとでも駄目のとき。」などと認知を変えるだけでは、難しいです。なぜなら脳内麻薬とともに、衝動性が強く引き起こされていますから。その衝動にあらがうのは、よほどのことが必要です。

だから、認知を変えるよりは、行動を変えた方がよい。

パチンコに行く時、財布もカードも持って行かないというやり方もありますね。決めた紙幣だけ握って。まだチンジャラジャラの音がしてないし、バックミュージックも聞こえていないので自宅の外出準備でなら、多少抑えた行動がとれるかもです。

でも、基本は近づかないに越したことはない。自動思考は「ちょっとだけいいだろう。」でも、スキーマ(信念)として、「私はパチンコの誘惑には勝てない。」「パチンコを止めるぐらいなら死んだ方がまし。」ということがあるかもしれません(恐ろしいことです)。

あと、行動療法的に言うなら、恐れていることに身をさらして、何にもしない=反応妨害法というのがあります。

パチンコを三千円擦った後、カードを握りしめてATMの前に立つ。そこで自分の衝動をじっと観察して、お金を下ろしたくなる気持ちをモニタリングする。でも行動は何もしない(カードは差し込まない)。

今、下ろしたい気持ち100%・・・1分後・・・80%・・・2分後・・60%・・・

・・・下ろしたい気持ちが消えたら、パチンコ屋を立ち去る。

とても上手な方は、三千円というお金の限界とともに、3時間という時間の限界も必要かもです。(私のブログ書きも、そのようなタイムプレッシャーが必要と思っています。)

三千円なんて寝ぼけたこと言うな!と叱られるかもです。聞くところによると、一回の費用は万単位だそうですから・・・。

理論上はそうやって、上手にパチンコ止めるのは可能ですが、難しいでしょうねえ、今そこで音がしている状況では。となりにサポーターがいればできるかもです。こういうことをやっていくのが認知行動療法です。

アルコール依存症の克服と同じく、「自分はアルコール(パチンコ)には勝てない。だから飲まない(打たない)。」

「飲まない(打たない)。」と決めたらいっさい飲まない(打たない)。そういうやり方が一番です。

「ちょっとだけいいだろう。」という自動思考が起これば、「ちょっとも駄目」と切り替えるしかありません。

こういう風に書いている私は1000円以上のパチンコしたことが有りませんので、人さまから聞いた話での類推です。あまりお役には立てないですね。m(. ̄  ̄.)mス・スイマセーン

そういえば、わたしはビール大好きで、もしかしたら「アルコール止められないかも?」と疑っていました。

お酒の上での失敗は若い頃はともかく、今はありませんし、飲まなくても何日も働き続けられますし、お酒飲みたいために仕事を早く切り上げるなんてことをしたことは、一度も有りませんから、依存症ではないということは分かっているのですが、「飲みたい気持ちを抑えられないかもしれない。」という心配がありました。

仕事帰りに「ちょっと一本買って帰ろう。」と思うことがよくあり、そういう自分の行動を放置していました。三月までは。

例4、昨日の宵の話です。信州から帰ってきて、植物たちに水やりをしました。庭仕事をしながら、この後で、缶ビールを買いに行こうと、思っている。車のキーを持って外に出ました(買い物に行こう)。それでも、居ない間に伸びた雑草が気になって「ちょっとだけ。」と抜いているうちに、「ビールを買いに行こう。」という衝動は消えていました。その上「こういうときキーを失くするのよね。」という認知までもしている。

いつもは、「今日だけなら、いいだろう。」という自動思考に気がついて、「今日は駄目。今は行かない。」と意識して、頭を切り替える。そういう体験を積み重ねています。昨日は「だめ」と思うこともなく、雑草を抜くという別の行動(こっちもほとんど自動思考ですが)によって、気持ちが切り替わりました。

私程度のお酒好きはそんな感じで、認知行動療法を生活に生かしているなかで、十分対処可能ですが、依存症かと思われる方は、専門の治療を受けてください。

先ほども書きましたが、お酒の上での失敗が繰り返されている。お酒を飲む機会を積極的に求める(夕方になったら飲みたくて、仕事を早く切り上げたくなる。)手元にいつもお酒を置いている。手持無沙汰になったら、飲んでいる。などなど思い当たる方は要注意です。

四月から、そのようにして自分のお酒好きにむかっています。肝臓のデータなどとても良いので、コントロールさえできれば、「飲むときは飲む。3杯(ビール)で止める」と決めていたら、お酒は生活を豊かにしてくれる良薬と思います。3杯は多すぎ?

まあ、とにかく何についても言えることですが、自動思考「ちょっとだけ」がどのように起こるか、それに気が付くレッスンをしてみませんか?

別にお酒でなくても、ここを甘いものやら、買い物などに置き換えてもいいのですが。

楽しみにしていることは、ストレスに対してあなたを助けるサポート資源ですから、甘いものを止めたほうが良いとか、買い物をしてはいけないとかを主張したくて、この記事を書いたわけではありません。

「止めよう、止めよう」と思っていても止められないことの背景にある自分の考え方の癖に目を向けるのも面白いですよ。

そういえば、半ダイエット中の私。「おなかすいたなあ。」も自動思考的に浮かんで、台所に立てば「なんかつまもう。」と思っているようです。

何度か、意識して「おなかすいたけど、食べなくても我慢できる」と思い直している日々です。

生活習慣の数々は、たくさんの自動思考からなりたっているのですねえ。

ターゲットは、繰り返される失敗。自分を苦しめる非日常的感情です。

次回は、怒りと不安の自動思考を取り上げてみましょう。

2010年4月22日 (木)

認知行動療法レッスン・・・その1

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<img alt="Cocolog_oekaki_2010_04_22_09_45" title="Cocolog_oekaki_2010_04_22_09_45" src="http://kumpu-well.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/04/22/cocolog_oekaki_2010_04_22_09_45.png" border="0"  />

上にあるのは、認知行動療法で、ストレス状況を理解するパターンです。脳の4つの機能から見ていきます。

  初めに図示したのは、最近の事件から、くんぷうが想像したもの。

  次に、22日朝に、読み返して、自分のストレス状況を取り上げた方がよい

  と考えて、今さっき描いたものです。お絵かきツールを使って、書いて表示

  しているので、再現性がない。困ったもんです。今回うまく表示できませんでした。

  画面のアドレス見たいなところ、クリックすると、くんぷうのストレスの例があります。

認知行動療法をこのブログ上でわかりやすく解説するって、至難の業です。

あきらめたい。でも、また後で、夜にでも挑戦します。

昨夜、娘からメールが来ました。

「たけしの番組で、認知行動療法やってるよ。人気あるから、需要伸びるんじゃあない?(お母さんの)ホームページ、更新しようよ。」

カウンセリングルームのホームページを更新しないままに2年が過ぎました。東京都教育委員会の毎年のシステムの改編で、嘱託の立場も勤務日が増え、授業の持ち時間が倍増し、とても、カウンセリングの時間を増やすことなどできそうにない状況が、この2年間続いていました。

それをいいことに、ほうりッ放しのホームページです。

自分でも開けてみません。

このブログ読まれた方がそちらにまで、たどり着かれたらと思うと、・・・ι(´Д`υ)アセアセ。

私のページは娘が作ってくれましたので、こんなに放りっぱなしでは、ストレスたまることでしょう。もう2年間、原稿頂戴、写真頂戴の声を無視していました。

さて、たけしさんまで、認知行動療法に関心を持たれるぐらいの、トレンドなんですよね。

わたしも、もっと宣伝しても良いのでは?

街の小さなカウンセリングルームですけど。

しっかり、真面目に、認知行動療法をやっています。伊藤絵美先生のスーパービジョンを受けて3年。少しずつ、できることが多くなってきました。

ここは、カウンセリングルームの宣伝の場じゃあない!

皆様に、ご提供。認知行動療法、初めの一歩。

最近、ストレスを強く感じた事ありますか?怒ったり、不安になったり、いつもと違って、思いがけない展開の、自分の反応ありましたか?

そういうとき、くんぷうは、ムムムッ?何か変なこと考えているぞ!と思います。

ストレスが大きい時や、ストレスはそれほどなのにストレス反応(怒りや、胃の痛みやあれこれ)が大きい時などに、思わず知らず(自動思考といいます)、自分に語りかけ、自分を苦しめる言葉の数々があります。

認知行動療法では、非機能的認知といいます。自分にとって、良い働きをしない考えのことです。

結構根強い思いこみで自分を苦しめています。

「あっ、しまった!またやっちゃった!」「この人はまた!?」「なんてダメなんだろう。」

「日本の女どもは!・・・のさばり過ぎだ。(背景には、私を尊敬していないという認知有り?)」

「馬鹿なことしちゃった。あの人は、私を馬鹿だと思っているに違いない。」背景にある信念。馬鹿であってはならない。利口であるべきだ。

「わたしは、やるべきことをやっていない。人はベストを尽くすべきなのに」

「この人に、言われたくない!!!」・・背景には、・・・わたしは間違ってはいけない。スーパーであることが私の存在を担保する。・・・これはスキーマ(信念)と言われます。

「あの人に嫌われたら、もう生きてはいけない。」

「ああ、駄目だ!もう我慢できない。この女の子のスカートの中をのぞかないで済ますわけにはいかない!ボクはもう、耐えられない!」

最後に示した認知は、覗き魔といわれる痴漢さんの、頭の中を想像してみました。

ここで、肝心なのは、「我慢できない!耐えられない!」と思うこと。「我慢しても、死ぬわけじゃあない。たった30秒すぎるのを待てば、衝動は下がる。」

と思うことができるなら、社会的に抹殺される行為を、中断できるわけです。

でも、病気な人には、ここが難しい。ここにセラピストは照準を合わせます。

・・極端な例を出しましたが、認知行動療法は、自分の頭の中の思いを、スライスして取り出して、自分を苦しめ、ストレスを増大させるだけの認知に切り込みます。

まずは、ストレス場面で、自動的に湧きおこる、自動思考を捕まえるレッスンをしましょう。

 あ、しまった。やっぱりだめだ。もう我慢が出来ない。やってられない。・・・などなど

考え方のパターン(自分の癖)が分かってきたら、もう少し、楽な考え方をみつけることもできるようになります。(認知再構成法)

いつものパターン。初めに感じた認知を否定することもありません。

何十年も、そうしてきたのは意味があってのこと。自分を今有る姿にしてくれた、自分を助けるてくれる認知でもあったのです。

くんぷうで言えば、「最善を尽くそう!」「失敗は許されない。」「弱音を吐いてはいけない。」

等々、ツッパリ人生の自動思考や信念はもう、溢れんばかり。

そうやってがんばってきたのだから、それでいいんじゃない?

実は良くないです。「非機能的」というのは、そこのところ。

最善を尽くすことって、ほとんど神の世界?ありえなーいって若いお嬢さんなら言いそう。

失敗はあって当たり前。強気で行こうとしても、周りが許さない場合も。

・・・そういう風に環境は、自分とは別の世界ですから、あなたの都合に合わせてくれません。

あんまり、自分の思い込みが強いと、いろいろ不都合なことが起こります。

  強迫性障害や、うつ病、心身症(神経性大腸炎など)や、パニック障害などの背景に

  強力に働く自動思考があると、かんがえられています。

心と体は不可分のもの。表面はよく適応していても、過剰適応で体を痛めることもあります。

ストレスいっぱいの、経済不況、デフレ下の日本。先の展望がなかなか見えませんね。

工業化社会では、人間疎外と言われましたが、情報化社会では、何と言ったら良いのでしょう。バーチャルな自分は自己効力感いっぱいで、何でも出来そうですが、現実の人間関係では、何もできない。できることは消費だけ。・・・そんな恐ろしい状況も生まれています。

疎外と言うよりは、分裂。または乖離。どれが本当の自分やら、自分でもわからない。

こんな社会に身を置いて、健康的に暮らそうなんて、土台無理かもですが・・・自衛の手段を探そう。

自分の脳内でささやいている言葉が、自分を切りつけてくるのですから・・・怖い怖い。

で、まず手始めに、

ストレス状況で、自分は何をささやいているのか。自分の認知を探ってみましょう。

慣れてきたら、すぐに掴めるようになりますが、初めはなかなか難しいです。

そこで、そのとき、1、どう思って(どうイメージして)・・・認知

           2、どう感じていて、その感情はどの程度?・・・感情・気分

           3、どんな行動をして、(言ったりしたりしたこと)・・・行動

           4、どんな体の状態だったか?・・・・・身体

と、四つの脳の機能から、見ていきます。この中の2と4は、自律的に変えることはできません。反応として現れてくるものです。

1、と2、(認知=考え方と、行動)は意図的に、変更可能です。

現代生活をおくる私達は、考えてみると、草原の動物のように危険に身をさらしているわけではないのですが、

いったん、「あぶないぞ」のアラームが点灯すると、交感神経ビンビンで、アドレナリン出まくり…結果的に生活の質を落とします。だって、ライオンから逃げるための疾走をそんなに長く続けていられません。

一日中、全力疾走で走っていたら、疲れすぎてしまい、あちこちに不具合が起こるのも当たり前のことです。

「この悪循環を断ち切るには」・・・→不要不急に鳴り続けるアラームのスイッチを切ることができれば、ずいぶん楽になります。

・・・テレビ番組に戻すと、どうも「たけしさん」の番組では、認知行動療法だけでなく、論理療法も紹介されていたようです。(ネット情報をちょっと調べてみました)

じぶんの非論理的思考に反駁するために、証拠は?と迫るせまるやりかたです。

これも使いがってはよいですが、わたしは、四つのファンクションから迫る、認知行動療法の方が切れ味が鋭いと思います。感情や体の様子に、いつも注意を払っていられるようになると、それだけで、ずいぶん自己を知ることになります。

それだけ、私たちは、ほとんど無意識で、考えようとしないで考え、思ってもいないのに思い、いつの間にやら感情に持っていかれて、体を痛めているのです。

今すぐは、無理に反駁しないでいいですから、ストレス場面で、自分はどういう言葉を自分にささやいているのか?を見つけてみましょう。

そのとき、どんな感情が湧きおこり、それはどの程度の強さで、その後どう行動したのか?

体の感じはどうだったか?

と、自分をスライスする癖をつけてみてはいかがでしょう?冒頭に挙げた、例をみてください。

立ち止まって、考えるだけで、(無意識に)持って行かれなくなりますよ。これを徹底していけば、マインドフルネスの生活となって、豊かに暮らせそうと・・・いつも詰め込んで焦りまくりのくんぷうは、考えています。

焦ることは、ちっとも治りませんが、立ち直りが早くなった。ダメージが少ない。悪循環に陥ることがなくなりました。

  言葉を変えれば、能天気なだけですが。

2010年4月14日 (水)

コーチング・・・書いてみよう10年計画・三角シート・・・大切なのは頂上。今日何するか?

昨日、書きかけた、チャレンジシートを公開します。

もともとは、テレビでアンジェラ・アキさんの元上司の方が、提示してくださったものですけど、公開されたもので、ここは有料ページでもないので、載せても大丈夫でしょう。

Cocolog_oekaki_2010_04_14_11_00

この、三角形の一番大切なポイントは10年後に向けて、今日なにするかです。

6ヶ月後から2年後の目標にどうつなげていくのか、と有機的に考えて、今日も1ステップ実行する。それが大切。

いきあたりばったりではない。

たとえば、資格を取ろうとしているとするなら、その資格は10年後にどういう自分でいるため?と考えると、つながりが生まれ、大きく考えることができます。

ちょっと、考え方の実験。非現実的な目的を10年後に置いたとします。

例えば、テレビでお笑いタレントとして活躍している。もしも、このくんぷうがそんな目標をもったとして(´,_ゝ`)プッ。そのために、2年後はどうなっていたらよい?

・どこかのオーディションを受けている?どこかの劇団に所属して、老人タレントとしての芸を磨く。芸がないがあきらめない。

・クラウン(道化役のこと)のワークショップに参加して自分なりの動きを研究。・・・そういえばそういうことやったことありました。赤鼻をつけると、なぜかヘンシーンできます。道化の自分も快い。

・サーカスの下働きに雇ってもらう。

・オリジナルな笑いを生み出すことはとても無理。でも、コピーならできそう。せっせと落語や漫才のビデオを見まくり、真似をする。

・・・・こう、書いてくると、なにやら実現可能かもと思ってしまいます(マサカネ┐(´-`)┌)

自分から、もっとも遠い目標でさえ、こうなんですから、本当に心の底から願っている事なら、たいていの書きだした目標に近づくことは不可能ではないような、気がしてきました。

人は到底不可能なことは、選ばないもの。・・・北島選手みたいになりたいとか、宇宙飛行士になりたいとか、くんぷうの脳裏には浮かびません。

でも、可能なら宇宙遊泳はしてみたいけど。老人代表で、100歳になったら手を上げようかしら。そう考えたら、100まで元気でいるために、今日すること、気功の鍛錬!と、ちゃんと繋がるじゃありませんこと!

また、自分の脳が気持ち良いと感じないことも選ばないもの。

だから、わたしや、あなたが、選んだ達成目標は、持続する意思があり、スモール・ステップで登って行くなら、登ることができない山ではないんだなあ!

と、記事書きながら、感動している、単純バカくんぷうです。

ひとつやってみましょうよ。

おもしろそう。

くんぷうが閑になって、まずしたことは

片付けと、気功の練習と、ブログ書きの時間を増やすこと、チャロ2のインターネット登録。カウンセリング関係の資格に関して、調べ物、問い合わせ。

子どもの本の研究会で請け負っている仕事、人との連絡あれこれ。

こんな、小さなことですが、・・・これを

壮大な10年計画につなげてみるなら・・・愉快なことになりそう・・・と夢を見ています。

2010年1月27日 (水)

再度の、ご案内。伊藤絵美先生による、認知行動療法セミナーにどうぞ。

                budセミナーのご案内apple 

2月14日(日) 場所 飯田橋セントラルプラザ10階A室

         時間  10:00~12:00

伊藤絵美先生によるセミナー 

      日常生活への認知行動療法の生かし方」

費用 2000円 (会場で申し受けます)

主催 認知行動カウンセリング研究会

申し込み先  kumpu-do@mbr.nifty.com

定員 40名 定員になり次第、締め切ります。お早めにお申し出ください。(残席わずかです)

こんばんは。再度のご案内です。

昼間の仕事の後、このところ毎日、セミナー関連の仕事で、夜遅くまで、手紙書いたり、あれこれしています。

でも、窮屈感はなく、面白さを感じながら。ご縁のあるいろいろな方からのご援助が嬉しい。また、以前は人に頼み事するのが、つらいと感じることも多かったのですが、このプロジェクトすすめながら、少しずつ、お願いや頼みごとに、ナーバスでなくなって、ずうずうしくなっています。知っている限りの方々にお手紙書いています。

お返事来なくても一向に平気です。こちらが一方的にお誘いしているのですから。イベントのチラシ、500枚か1000枚に一人、お客さん来てくださればいいほうだとか聞いていますので4、50通程度ではなんということもないでしょう。

あと少し、お客さん来てほしいと願って、今夜も記事更新です。

黒字になると、うれしいです。(お金儲けのプロジェクトではなく、結構、ボランティアというか使命感で始めたのですが、あまりにエネルギー使っているので、ペイできたらいいなあ、という気持ちが湧いてきています。)

認知行動療法を知れば知るほど、生活スタイルが楽になります。セミナーにいらして直接伊藤絵美先生のお話、聞いてください。

易占いしているからかもしれないですから、そこは実は微妙な味わい。

それでは、また明日。

2010年1月22日 (金)

伊藤絵美先生による認知行動療法セミナーのご案内

        budセミナーのご案内apple 

2月14日(日) 場所 飯田橋セントラルプラザ10階A室

         時間  10:00~12:00

伊藤絵美先生によるセミナー 

      日常生活への認知行動療法の生かし方」

費用 2000円 (会場で申し受けます)

主催 認知行動カウンセリング研究会

申し込み先  定員 40名 定員になり次第、締め切ります。お早めにお申し出ください。(残席わずかです)

満員御礼。盛況のうちに終えました。

またの機会にぜひご参加ください。

こんばんは。突然ですが、セミナーのご案内をさせてください。

易占いとは、真逆の方向にある認知行動療法をも、くんぷうは学んでいます。

カウンセリングでも、クライエントさんの状況に合わせて、認知行動療法の考え方を取り入れています。

偶然性に支配された易の世界。方や科学的でエビデンス(治ることの証拠・追跡可能な証拠)を重視する認知行動療法。

どちらも、私の頭の中では、「認知・考え方」の幅を広げる大切なツールと思えます。

易経の言葉は、孔子様をはじめ素晴らしい学者や聖人たちが、何千年間紡ぎだし、継ぎ足し、積み重ねてきた、鍛えられた哲学であり、自然観、宇宙観であり、身近には、処世、経世の知恵です。

一人の人間では到底、考え及ばない叡智をたたえています。状況に対して、認知を変容するチャンスを与えてくれます。

私は、易経の言葉を知ってから、ずいぶん柔軟に生きられるようになったなったなあ、と思っています。

一方、認知行動療法では、ストレス場面で、自分の頭にあって、自分にとっさにささやく言葉・・・自動思考といいます・・・が悪く働いて、人の生き方を窮屈にさせているととらえます。

自動思考は反射的に浮かんで「ああ、まただめだ。」「こんなことにはたえられない」「失敗してはならない」などなど、自分の心を責めてきます。その奥には、スキーマと呼ばれる人生の構え、信念が隠されていますが、それにはなかなか気が付きません。(たとえば、誰からも愛されなければならない、有能でなければならない等)

その考えやイメージが、「あせり」「不安」「恐れ」「怒り」「落ち込み」など、ストレスフルな感情や気分と結びついて、悪さをする。

そして、自分も他人も苦しめる。止めようと思っても、止められない行動をとらせる。

そういうとき、身体的にもストレス反応が出ている。胃が痛かったり、心拍数があがっていたり、汗をかいていたり、がくがくふるえたり、食欲がなくなったり、夜眠れなかったり、さまざまです。

このようなストレス場面で、感情や身体反応を意識的に変えることは難しいが、認知(考え方)と行動は、意図的に変え得る。

感情と結びついて、自分を苦しめる考え方や認知の癖を見ていって、よりストレスの少ない認知ができるよう、認知の幅を広げ、行動の変容を目指すお手伝いをするのが、認知行動療法です。

うつ病や強迫性障害に対して、投薬と同じように、治療効果があると報告されています。

薬だけに頼らない、効果のある療法であり、身につけたら、再発防止に大変役に立つといわれています。。

私たちの勉強会では、カウンセリングの技法としてだけでなく、まずは自分の生活に生かしていこう。自分も周りの人も、楽に生きられるよう、認知行動療法を勉強しながら広げていこうという活動をしています。

そこで、本題です。

1月15日付の朝日新聞でも紹介されていましたが、今この世界で、研究と実践(セラピー)のトップを走っていらっしゃる、伊藤絵美先生を講師に迎えて、「認知行動療法」セミナーを計画しています。伊藤先生はくんぷうのスーパーバイザーでいらっしゃいます。

このページを読んでいらっしゃる方で関心のある方は、どうぞご参加ください。

定員がありますので、事前に申し込んでいただくと助かります。残席が少なくなっています。

2007年5月14日 (月)

CBT(Cognitive BihaviorTherapy)認知行動療法を生活に生かす

その1、CBTとは
CBT(Cognitive BihaviorTherapy)認知行動療法を生活に生かす
ということを、私のブログの大きなテーマにしようと考えています。
折に触れ、自分の生活上の苦しみ、悩み、ストレス状況を
自分で分析し行動変容(ホンの小さなものですが・・・)を
導けた事例を紹介したいです。時には失敗例も。

関心のある方は、ホームページ http://www.kumpu-do.com/
のエッセイの方もご覧ください。

で、ブログを始めるときも、書き続けるためにも
このCBTにはずいぶんお世話になっています。
以下少し説明します。

CBTでは人の存りかたを、1、認知(考え・思い) 2、感情(うれしい・悲しい・落ち込み・怒りなど通常短い言葉で表される心の働き) 3、行動 4、身体反応の4つの機能の組み合わさった物ととらえます。

ストレス状況ではこの中の1がひきがねとなって、2で感情が大きく動いてつらい思いをしたり、3で自分にとって好ましくない行動となって現れたり、4では自分の体を痛める方向の身体反応が現れたりします。
この4つの機能は分かちがたく結びついていますが、通常全部が意識に上るとは限りません。
自動思考といって反応的に何かが思い浮かんできます。
そのなにかをはっきり意識していないことが多く、
まず初めはこの段階の自分の認知に気がつくことが、セルフヘルプの第一歩かと思います。

2の感情も「自分の気持ちなんかすぐわかるさ。」と思っていたら大間違い。
私たちは社会生活を営む上で、感情的になってはいけない。
自分の感情に正直になってはいけない。と思い込まされています。
時には、自分に対して「感じる」ことを禁止していたり、「感じた」ことをなかったことにしたりもします。

で、行動分析とともに「そのときの感情は?」と詳しく思い起こすことが大切です。
「別に。何も感じてないよ。」という人こそ、そこにおおきな感情がひそんでいたりします。

3の行動というのはしたこと、しゃべったこと、あと、見るとか聞くということも入ります。
細かい振り返りモードに入ると結構思い出せるものです。
瞬間にとっっている行動もあれば、しばらくしてからの行動もあります。

4の身体反応というのは、どきどきする・胃が痛い・汗をかく・緊張している・血の気がひくなどです。
自分の意思で起こすのではなく、自律神経系の反応として反射的に現れるものです。

この4つの機能は分かちがたく結びついていますが、2の感情と4の身体反応はなかなか変えられません。
(反射的なものですから)・・・ないわけではありません。(自律訓練法や瞑想など)

1の自分の考えや2の行動は変えようと思えば変えることができます。

で、認知行動療法というのは
ストレス状況でのストレス圧力(ストレッサー)を変えようとするのでなく
ストレスを感じたときの自分の認知や行動に気がついて、
できるだけ自分にとって負荷のすくない、機能的な(生活に役立つ)考えや行動がとれようにしていく
セラピーのことです。
うつ病などによく効き、再発がすくないことがレポートされています。

ここでは、その考え方を生活に生かしていって、より楽しく、さわやかに暮らせたらいいなあ。

と、まあ、そんな思いでページを作っていこうということの表明でした。

やっとここまでたどり着きました。長かったですね。
最後まで読んでいただけたでしょうか。


事例紹介は、また別の日に。


薫風


2007年5月10日 (木)

CBTについて・・・実況報告

あ~、やんなっちゃった

CBT(認知行動療法)でブログを続ける・・ってタイトルで
朝早くから書き始めて、いい調子で進んでいたのに
一瞬のうちに記事が消えてなくなりました。
うまく、保存できないまま、ちょっとほかのところに
カーソルが動いたみたい。
認知(考え)は、・・・(あ~、やんなっちゃった)と
          (あせってやると、ろくなことがない)
感情は、・・・(くやしい・ちょっと落ち込み)
行動は・・・(あわててあちこちキーをたたく)
体の感じ・・・少し熱くなっている、背中に少し汗が・・・タラタラ


(で、すぐやめよう)と思ったのです。(やり続けると遅れるよ)

というメッセージを受け取った
と思ってやめるのが本当なんです。
これから出勤なんですから。

でも、でも
くやしいじゃありませんか
五月の気持ちよい朝
庭にもでないで
パソコンに向かっていて
一時間の作業が
無になるなんて

で、リアルタイムの今の悔しさだけでも
書き残しておこうと
認知を切り替えて
とにかくあせりまくりながら、

とここまで書いてストレス状況の
いつもの自分がここにも顔を出している
と気づきました。
急ぐ、あわてる、あせる
これはいけません。
気づいた段階で認知を切り替えます。

(新しい認知)あせっているけど、あせらない。
と呪文をとなえて、
深~い息を吐いて、
キーボードをたたく指のスピードを落として、
ここまで。
続きは今夜

今あせりはほんの少し
今に集中

とにかくブログかけてよかったです。

行ってきま~す。

皆様 よい一日でありますように

薫風


くんぷうさんの、ともいきブックス

  • ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)

    ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)
    この本は、2017年、ミステリー専門のエドガー賞児童図書部門を受賞しました。主人公ダニエルと共に殺人事件かもしれない謎に挑戦してワクワクしながら読み進めていけます。しかし、単純な謎解き物語ではなく、全編を覆っているのは、OCDの症状から逃れられない苦しみです。不安があると寝る前に2時間でも3時間でも儀式と呼ばれる強迫行為をしなければ就眠できないのです。ダニエルが「ザップ」と呼ぶ強迫観念が侵入してきて「○○をしろ。ダメだ。やり直せ」と命令し、ダニエルは手洗いやスイッチのオンオフ、歯磨きなどを繰り返しせざるを得ません。不合理と分かっていても止めることができません。涙を流しながら、し続ける苦悩がリアルに描かれています。作者もこの症状に苦しんだ当事者だそうです。 13歳のダニエルは、アメフトをやっているけど、とても自信がありません。蹴るだけや走るだけならできるのですが、試合でキックをする場面になるととたんに「ザップ」が襲ってくるし・・・。ある時スタメンの少年が怪我をして試合に出ざるを得なくなりました。謎解き、スポーツのヒーロー物語、異性への関心と友情が描かれ、ダニエルが密かに書き続けている「人類最後の子ども」という物語までが挿入されています。これでもかとばかりのエンターテイメント要素の投入です。作者は最後まで読んで欲しかったのですね。 OCDは、「強迫症」とも言われる病気です。子どもの有病率は2%前後とも言われています。この本の扉の裏には「OCDに向き合うあなたへ /ひとりでは見つからない希望も/助けを借りれば、かならず見つかります」と書かれています。ずっと秘密にしていたことを人に話すのには勇気がいります。OCDに苦しむ子どもにも大人にも楽しく読めて、回復への希望をもつきっかけになりそうな本です。OCDを知らない人にもこの病気について理解を深めていってほしいです。

  • エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)

    エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)
    これも少し前の児童書です。小学校上級から中学生くらいの人にお薦めですが、大人が読んでも面白いことは受け合います。カナダのある街に転校してきた車いすの少年デ―ヴィッドとバスケ好きの1学年上の少年ショーンのボーイ・ミ―ツ・ボーイの友情物語です。強がっていたデ―ヴィッドの心の奥底の寂しさと辛さに触れて、障害について思いを深めました。ショーンが車椅子体験をする場面もリアルです。

  • 京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)

    京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)
    児童書です。ロンドンパラリンピックの前に出版された古い本ですが、一連のリアルつながりで、読みました。 自動車事故で脊椎損傷を負って下半身はおろか、背筋、腹筋も使えなかったサッカーJリーガーだった選手が、車椅子バスケでスポーツ選手として復活するstoryに子ども達は勇気づけられることでしょう。「夢に向かって行動を起せば、必ず出会いがある」という素的な言葉に出会いました。

  • 井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~

    井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~
    漫画家井上雄彦と取材チームが、リオ・パラリンピックの車椅子バスケを取材しました。マンガ「リアル」の登場人物たちを絡めながら、現実の試合と選手たちの姿を1冊の本にまとめてくれています。写真が素晴らしい。そして、リアルの原画もあり、選手たちのプロフィールも語りも読みごたえがありました。2020の東京パラりンピックまでに、「リアル」復活を熱望します!

  • 井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)

    井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)
    暮れだったか、正月だったか?テレビで車椅子バスケの選手京谷和幸さんの特集を見ました。その粘り強さと目標に取り組む熱さに感動しました。「リアル」のモデルの一人だということが知らされ、さっそくこの漫画を手に入れました。素晴らしい漫画です。劇画中の登場人物の心情と情念が本当にリアルに描かれている。単なるスポーツ根性物語ではないです。登場人物の生き方と個性が迫ってきます。障害に向き合う姿が生々しい。リアルでありながらファンタジーも含んでいて、私はプロレスラー・スコーピオン白鳥に感動しました。プロセスを知らないおばはんを感動させる井上雄彦さんの漫画の迫力!残念ながら14巻までしか描かれていません。続きが読みたい。(息子が古本屋で既刊全て見付けてくれました)。そういえばバガボンドも途中だとか。それも息子に進められ以前に読みましたっけ。スラムダンクは読んでいません。

  • フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)

    フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)
    この本が出版された2013年に一度読み、今回二度目に読んで、このリストに紹介します。主人公マルセロは弁護士のお父さんと看護師のお母さんを持つ、アスペルガー障害に良く似た症状のある17歳。小学校入学以来、私立でお金がかかる障害児への支援が専門の学校パターソンに通っています。高校の最終学年を控えた夏休み、お父さんは、弁護士事務所というリアルな世界でアルバイトすることを求めます。マルセロはパターソンの農場で生まれたポニーの子馬を世話するアルバイトがしたいのですが、お父さんは強硬です。リアルな世界のアルバイトを成功裏に負えたなら最終学年までパターソンにいて良いと、交換条件を出されてしぶしぶお父さんの事務所で働くことになりました。 マルセロはオフィスの中で、衝撃的な写真に出会います。顔面の半分が削り取られている映像なのに、その子の瞳が強い思いを発して迫ってきます。直属の先輩ジャスミンと一緒にその子を探し出そうとします。ここからはミステリー仕立てですのであまり詳しくは書けません。 マルセロにとってリアルワールドとは、障害があろうとなかろうと、思春期の男性として通過しなければならない世界です。性の芽生えや、異性への関心もテーマです。一方で裁判の中で争われる正義と不正義の交錯する世界もあります。自己の実感に基づいた行動を通して世界へ関わろうとするマルセロは嘘がないという意味で最もリアルな存在かもしれません。現代アメリカが抱える貧困や差別などのリアルな現実も描かれています。 自分の思いを的確、適正な言葉で表現し、コミュニケーションに反映させたいと苦闘するマルセロが発達障害を理解する上で参考になります。私も自分の思いにぴったりした言葉を探して苦労をなさっている方々と出会っています。会話がゆっくりだから知的に劣っているわけではないのです。何も言わないからといって、何も考えていないわけでもないのです。その辺りの当事者としての在りよう(叙述)に大いに学ばされました。発達障害に関心のある方もない方も、現代アメリカ小説として「時代を映す鏡」として楽しめる作品ではないかと思います             

  • ニール・シャスタマン: 僕には世界がふたつある

    ニール・シャスタマン: 僕には世界がふたつある
    作者の後書きによると「アメリカの3世帯に1世帯は家族の中に精神疾患に悩まされてい」るそうです。翻訳者の金原瑞人さんは、訳者あとがきで「本文を全部読む前に読まないで」と書いてあります。上質のミステリーであり、ファンタジーも内包しています。読み終わった後、また初めから読み返してああ、この人があのキャラで・・・と振り返りたくなりました。私は書名からある予断をもって読み進みましたが、それでも十分に引きこまれました。当事者でなければ書けないような描写で叙述されています。それは作者が当事者家族でもあるからです。疾病と回復の物語です。今映画化が進んでいるそうです。話が進むにしたがって頭の中に映像が動きだしてきて惹きこまれます。ゲーム世代ならなおさらと思います。

  • 長谷川ひろ子・秀夫: 生死いきたひ 生前四十九日

    長谷川ひろ子・秀夫: 生死いきたひ 生前四十九日
    タイトルの「いきたひ」は、書影で見られるように本当は生と死が合体した造字で、著者が考案したものです。「生きたい」「生きた日」と読めます。生に切れ目なく死が続いていることも読み取れます。著者は同名の映画を自主制作されました。悪性リンパ腫で40代の若さで亡くなったご主人の希望でなくなる前の家族の看取りの様子を映画に撮られました。ご自宅の畳の上で亡くなられた後、4人の子どもさんと著者は朝まで添い寝をされます。その映像を中心に、後から「畳の上での看取り」「腕の中に抱えた看取り」「看取りができなかった死に向き合う」方々のインタビューなどで構成されています。死を恐れるあまり、私たちは自分の死も家族の死も本気で真剣に向き合ってこなかったなあと思います。この映画に触れ感動した人々が全国で上映会をされています。看護や医学を学ぶ人達の学校でも上映されています。私は、看取りを専門にする看護師さんから紹介されて映画を見、この本も読みました。本気で向き合わなければならない死が私の周りにもあります。ゆっくり考えています。

  • 藤井克徳・池上洋通・石川満・井上英夫 編: 生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの

    藤井克徳・池上洋通・石川満・井上英夫 編: 生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの
    2016年の相模原殺傷事件の後、衝撃を受けながらも、黙ってはいられないと、障害について深くかかわっていらっしゃる6人プラス4人の方による、深い思考と問いかけの本です。タイトルの「生きたかった」から、犯人の投げかけた差別思想に対抗する書物であることが伝わってきます。6人の執筆者は、編者の4人の他に、盲聾重複障害の東大教授福島智さんと精神科医の香山リカさんです。他に、当事者・家族・支援者の立場の方4名も思いを綴られています。福島さんが述べていらっしゃるように、今は、障害の有無にかかわらず、誰もが生きづらく感じている現代日本の社会です。今回のこの事件を自分の問題として考え続ける努力を積み重ねていきたいです。自分には無縁と思っていた優生思想とヘイトクライムのその芽が自分の中に存在しないかどうか?自己点検の目も必要です。

  • 手嶋 ひろ美: 笑われたくない! (文研ブックランド)
    主人公結花は脳性まひのある小学4年生。不自由な体を笑われたくないといつも思っています。ところがお楽しみ会の出しもので結花たちの班は、二人羽織をすることになったのです。班の男子はわざと変な食べ方をして、みんなに笑ってもらいたい。結花は一生懸命、羽織の後ろの小雪と練習して、上手に食べるところを見せたい。心の中で「笑われること」にとても抵抗があるのです。 脳性まひの人の体の不自由さからくる心の苦しさ、社会の側のバリア、周囲の無理解などが結花の視点から丁寧に描かれています。私自身も今だに笑われたくないと思うことがあります。障害があってもなくても、人と違う自分を受け入れると、笑われることなどどうでも良くなるように思いました。大切なのは自分がどう生きるかということですね。著者自身も脳性まひのある人で、車いすの自分をじろじろ見る人には、自分からにっこり笑ってみるそうです。
  • アン ブース: 霧のなかの白い犬

    アン ブース: 霧のなかの白い犬
    17年度の小学校高学年の読書感想文課題図書です。主人公たちは中学生です。おばあさんの認知症と白い犬を飼い始めること、など読み始めのアイテムには、確かに小学生も関心を持つでしょうが、読み通し、内容世界に迫るには小学生にとっては難しすぎると思いました。世界の国を知り、歴史的な知識も持ち始める中学生以上に読んでほしいです。高校生でも大人でも読みごたえはあります。ネタバレになるので、おばあさんと白い犬の関係を紹介できないし、論じられないのが残念。主人公ジェシーたちはイギリスの田舎町に住んでいます。その小さな村にも移民に職を奪われたお父さん(出稼ぎにフランスへ!)や、ダウン症の村人や、学校でのいじめ、家庭の問題など、子どもが気にせずにはいられないことが満載です。ファンタジーものにどっぷりつかっている、日本のヤングにも主人公と一緒におばあさんの子ども時代を探索する旅に同伴してほしいです。イギリスやドイツの児童文学やヤングアダルト文学が障害や戦争、平和の問題を掘り下げて描いていることにいつも感心します。70年以上前の戦争の傷跡が今を生きる人間関係に影を落としていることは、日本もアジアも同じことです。ナチスの問題を自分に関わりのあることとして考えました。

  • 伊藤亜紗: 潮新書 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

    伊藤亜紗: 潮新書 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか
    この著者の専門は美学や現代アーツです。ですが、元は生物学を目指していらっしゃったそうで、身体を論ずる視点が面白い。「目の見えない人は世界をどう見ているか?」もユニークな本でした。スポーツは基本的に身体条件が違う人が一定のルールの元で(公平さ)競うもの。目が見えないというハンディキャップがある人どのようなルールの元で、どのような身体の使い方をして、誰と協働して、思い切り競技・競争ができるのかを、現役アスリートへのインタビューを通して論じています。人間の身体の不思議、能力の果てしなさを思います。パラリンピック、是非観戦したいです。描かれている競技はブラインドサッカー、競泳、陸上、ゴールボールなど。

  • 古内 一絵: フラダン (Sunnyside Books)

    古内 一絵: フラダン (Sunnyside Books)
    男子が圧倒的に多い工業高校の中に女子ばかりのフラダンス愛好会がある。そこに入部した男子4人。リーダーは「フラダンス甲子園」での優勝を目指している。フラ本来の文化的意味を強く持つ男踊りを組み込んだフォーメーションを考え意欲満々。そればかりでなく、フラ愛好会「アーヌエヌエ・オハナ(虹のファミリー)」は慰問活動にも熱心に取り組んでいる。読み進むうちに笑顔が重要な要素であるフラダンスの魅力にはまる。高校生の人間模様はどこであろうと、多数派と少数派のぶつかり合いがあり、自分自身の中の青春の葛藤があるが、この物語の舞台は福島県。震災と原発事故を背景にした複雑な思いが描かれている。物語の転換点は仮設住宅への慰問でぶつけられた住民の言葉であるが、福島以外の中高生にどこまで伝わるか気にかかる。第63回読書感想文コンクールの課題図書となっている本書。原発発災の時はまだ小学生だった人達が今高校生である。風化の中でおためごかしの復興が叫ばれている。この本は楽しみながら読める痛快学園ものである。多くの高校生に手に取って欲しい。そして、今も故郷に帰還できない人達の困難と原発事故・放射能被災という現実を登場人物の苦しみを通して読み味わってほしい。(といっても既に現状はもっと進み、避難指示解除による国と電力会社の住民切り捨てが広がっている。仮設住宅は閉じられ、復興公営住宅への転居とまたまた新しい環境への適応を強いられている人達が多くいるが本書ではそれについては描かれていない)

  • 池田 晶子 睦田真司: 死と生きる―獄中哲学対話

    池田 晶子 睦田真司: 死と生きる―獄中哲学対話
    池田晶子さんと獄中死刑囚(強盗殺人犯)の往復書簡集。哲学の本は読み通すことが難しく苦労するのに、この本は短時間で読み切りました。初めは寝掛けに布団の中で睡眠薬代わりに読んでいました。中盤は、続きが読みたくて朝起き掛けに。そして、最後は事務机で姿勢を正して読みました。往復書簡は、死刑囚である睦田さんから、池田さんへのファンレターが雑誌の編集部に送られてきたことから始まりました。池田さんの著書(一連のソクラテスもの)によって、自分自身の罪と罰に向かい合い、殺した人の命の分まで「善く生きる」と決意している自分自身の死生観、今現在の哲学が述べられています。池田さんはその彼に本気で向かい合い、「甘い」としかり、罪と罰、殺すこと、死刑による死に向かい合い、もっと考えろと迫ります。池田さんの人間的な一面がよく現れていて、思わずクスリとしたりして哲学が苦手な私にも読み通す意欲を与えてくれました。二人とも理知の人で池田さんによれば良く似ているとのこと。言葉によって現象を吟味し思弁し尽くすお二人の姿を通して、いい加減な自分自身の生き方に反省が生まれます。死について考えている今だから出会った一冊です。生き方を考えるとは、死を考えることだと思います。

  • 志賀 泉: 無情の神が舞い降りる (単行本)

    志賀 泉: 無情の神が舞い降りる (単行本)
    物語の舞台は南相馬市小高(原発20キロ圏、旧避難指示区域)。あの日(2011年3月11日)から半月あまり、町に残っている人はほとんどいない。俺は町を離れなかった。瀕死の病人である母を今動かせば、即、死につながると案じて。母はゆっくりと衰弱していく。無人の町で、30年前の記憶が交錯する。俺の家はしがない床屋だけど、近くの八坂医院には、あこがれの転校生が住んでいた。彼女は孔雀を飼っていた。俺は孔雀のエサとして蛙を取って来る係だった。そして切ない悲劇が舞い降りる。今、無人になった医院の孔雀小屋に、黒犬が残されている。人間の避難に犬は連れて行けないから。痩せこけている犬に餌をやる。そうこうするうちに母が死に、黒犬はペットレスキューのボランティア女性に託される。巨大化した美しい羽でメスを呼び寄せる孔雀はうまく飛べないというリスクを背負う。原発は孔雀に似ていると俺は語る。止めようとしても止められない肥大化した姿。原発爆発後、半月経過した町の描写が心に残る、表題作。小高の街を歩くと彼に出会いそうな錯覚がする。もう1編「私のいない椅子」が収められている。こちらは、阿武隈山脈の海側、原発のすぐ近くに住んでいた女子高生が主人公。その反対側の地に避難、転校している。福島の高校生が、今を映した映画を創る物語。私の母は自分の両親を津波で失ったが、遺体捜索もできなかった(避難指示で)ゆえに海から離れられない。私は一人親戚のおばを頼って避難しているが、あの山の向こうを超えて、海辺に帰りたい。初め映を引き受けていたけど、声高に原発反対を叫ぶ映画に変容していく制作側(避難を受け入れる側)の高校生や支援の制作グループの主張に沿っていけずケンカして役を降りる。私はただ、自分の存在を映画を通して、今は散り散りになった友人たちに届けたいだけ。ロケで海辺の故郷に行くことが望みなだけ。映画は私とは無関係に進行し試写会が行われる。すでにそれは「わたしのいない椅子」になっている。私は義援金で買った新しい自転車で海辺の町に向かう(もちろん本当は帰れない町)。原発立地の町の女子高生の身になって、違和感なく物語の進行につき合っていけた。作者は小高で育ち、今は休校中の双葉高校を卒業した人。現在進行中の原発被災地の中側に立った物語。ホンの小さな話だけど、細部に神が宿る。あの事故がそこに住まう人々の暮らしと内面に何をもたらしたか?ドキュメントではなく文学で伝えられることは貴重なことと思う。

  • 中井 久夫: いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉

    中井 久夫: いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉
    著者は日本の精神科医の中でも、最も誠実に独創的に患者さんに向かい合ってこられた方だと思います。読者は、自分がお医者さんでなくても、人に向かうには、自分に向かいあい受け入れるには、どうしたらよいのか?そういった疑問を抱いて読めば、必ずヒントがもらえるようなご著書が多いです。私もずいぶん読ませていただいてきました。難しい学術書もありますが、一般書として書かれた本も奥深いのです。この本は、ご自身の子ども時の体験から今現在のいじめを受けている子どもたちに救済の言葉を紡いであります。「こころが傷つく」とはどういうことかということを、精神科医としての理解と元いじめられっ子だった体験とを合わせて子ども(小学生から高校生まで、いえ元いじめられっ子だった数々の大人にまで)にわかりやすく語りかけます。「いじめ」は「人間奴隷化」のプロセスと説明してあります。いじめの進行は、孤立化⇒無力化⇒透明化のプロセスをたどり、いつしかその場に居てもいない人になり、いじめがあっても周りに見えない状況になり、激烈ないじめが続くというその過程と構造を子どもも大人も知ってほしいです。どうしたら抜け出せるか?対策は?まずはいじめられている子の安全の確保をし、次には孤立感の解消、そして大人として、これからは決して孤立させないという保障の言葉を伝える。そのあとに、いじめられた子どもの心の傷(罪悪感、卑小感、劣等感などをふくめ)の手当てが必要です。この本を読むことは、そのための大きな手当の第一歩になることと思います。著者は60歳を過ぎて、阪神淡路大震災の傷ついた被災者に向き合う中で、自分自身の子ども時代のいじめられ体験の傷がなまなましく浮かび上がってきたと述べています。それほどに心に傷を負うことは、深く恐ろしいことなのだと改めて思いました。

  • ティク・ナット・ハン: マインドフルの奇跡―今ここにほほえむ (からだの冒険こころの冒険)

    ティク・ナット・ハン: マインドフルの奇跡―今ここにほほえむ (からだの冒険こころの冒険)
    ティク・ナット・ハンの本を紹介するならこの本を!と思って書架から取り出しここ2週間ばかり読んでいます。最初に出会ったマインドフルの本です。もう20年以上も前の出会いです。解脱を説く本です。物事、真理、現実とのかかわり方や見方を、ハン師が到達し体験した瞑想法を通して教え導いてくださいます。結局、いのちは一つ、すべてのものが繋がっているということを、実感をもって観相し、体験することが出きればよいのです。それが、呼吸を見ることであったり、互いの関わりを深く瞑想することであったりするのですが、勿論私はその入り口にも立ててはいません。ですけど、柔らかなかたり口ながら、うまずたゆまず努力すれば、体と心が安らぎ、やがては明晰な意識を保つことが出きるような生き方もできるかもしれないと希望を抱かせていただける本です。寝る前のぼんやり頭で読んで、身につくかどうか?心もとないですけど。

  • ティク・ナット・ハン: 怖れ~心の嵐を乗り越える深い智慧~

    ティク・ナット・ハン: 怖れ~心の嵐を乗り越える深い智慧~
    最近はマインドフルネスという言葉をあちらこちらで聞くようになりました。NHKでも、ストレス対処に一番有効というようなスタンスでドクターや心理士登場の番組の中で紹介されました(NHKスペシャル「シリーズキラーストレス」)。瞑想による心身の深い境地を「すべてに気づいている」という意味のこの英語に訳したのが、著者だったと、私は理解しています。ベトナム出身の大乗仏教のお坊さん。今は、フランスを中心に活動されています。たくさんの本があります。一冊読んで何かが分かったというような知識伝達の本ではなくて読みながら、自分自身の心身に適用していく実践の書です。でも、内容は深い。般若心経の、解説の本のようでもあります。叔母の死に際して、生と死や、自分自身の来た道還る道を考えている時、たまたま目の前の机の上にあり、今読みなおしています。死を畏れない。過去と未来の不安に飲み込まれない。ただ、今を生きるために怖れを優しく包み込み「マインドフルに呼吸する」ことの大切さを説く、実践の書です。

  • 中澤 正夫: 死のメンタルヘルス――最期に向けての対話 (シリーズ ここで生きる)

    中澤 正夫: 死のメンタルヘルス――最期に向けての対話 (シリーズ ここで生きる)
    著者は、椎名誠の怪しい探検隊に同行する精神科医。椎名のエッセイを楽しんでいるうちにこちらのドクターの本も出ると読んでいる。5月から刊行され始めた岩波の「シリーズここで生きる」の第1弾。新聞の大きな広告に惹かれて読んだ。ご自身の終活の話より、対談やインタビューした方々の話の方が面白い。100歳の現役精神科医の研究や治療への向き合い方に励まされた。終章に私も行っている福島関連のボランティアの話があって、ちょうどそこに行くときに読んだのでドキドキした。死への向き合い方は人さまざま、参考にはならない。むしろ生き方として参考になる。著者は何度も無宗教ということを強調している。はてさて後には何も残らないのか?そんなはずはないよねと私は思う。

  • ドリアン助川: あん (一般書)

    ドリアン助川: あん (一般書)
    この本を手に取ったとき、りーかあさまを読んだすぐ後だったので、ハンセン氏病関連が続く偶然に驚いた。意図して読んだものではない。ドリアン助川つながりで手に取った。タイトルの「あん」とは、どら焼きの「あん」のこと。千太郎はあるいきさつで小さなどら焼きのお店をまかされている。あんは既製品の缶詰を使い、その日に売れ残ったら冷凍保存して翌日新しい缶のあんと混ぜ合わせて使う。借金返済のために年中無休で一人っきりで鉄板の前で働いてもう5年になる。話し相手が欲しくて「バイト募集」の張り紙を出したら、どう見ても働くのは無理でしょうと言う感じのおばあさんが現れた。「こういう仕事をしてみたかったの」と訴える。姿は指が曲がり、左右の目の形が違っていて表情もどこかおかしい。彼女は千太郎のどら焼のあんは作った人の気持ちが感じられないと言う。持参したタッパーには極上の手作りのあんが入っていた。雇うのは無理と思いつつ、彼女のあんとゴミみたいな安い時給でよいということに惹かれて雇うことにした。それから、彼女に厳しく指導されながら、本物の小豆の扱い方を学び、手作業を覚え、彼のお店は繁盛する。読み手も千太郎のあん作りに同行しながら、あん作りの醍醐味や極意を教わったつもりになる。あずきにしっかり気持ちを向けて、小豆に働いてもらうようにというおばあさんの気合の入った言葉が心に響いてくる。そのおばあさんは、指が曲がったままというところから近くにあるハンセン氏病の施設の人ではないかという噂が広がり、お店の客足は途絶えてしまう。ハンセン氏病という病気の実態も知らず、長い間社会的隔離をされてきて療養所以外で暮らすことのかなわなかった人々がいたことなど、まるで知らない今の若い読者にとっては、半ばミステリーのような物語であろう。作中の女子中学生と共にあん作りの名人76歳の吉井徳江さんに感情移入して、いつ、どうして、なぜという、謎解きをしながら、徳江さんの生きてきた道をたどって欲しい。白いブラウスの似合う女学生が終生を療養隔離施設で過ごさなければならなかった残酷を思う。林に還っていった徳江さんの最期に泣いた。