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    薫風なりの聖地探訪を続けています。水の聖地とパワースポット。神社仏閣など。
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    日々変わる多摩川上流の景色を中心に くんぷうの魂が癒されるシーンを 集めました。時には、川以外の水辺も ご紹介します。

カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の135件の記事

2018年6月16日 (土)

ハーブばたけ みんな けなげ


友人のハーブ畑におじゃましました。ラベンダーのポプリもたくさん作って満足。

2018年5月24日 (木)

暮れなずむ田んぼ


田植えが終わった田圃が美しい。日本の原風景ですね。常磐線の車窓より

2018年5月17日 (木)

5月のハーブ畑


友達のハーブ畑にお邪魔しました。今はカモミールが全盛です。

2018年4月 8日 (日)

市ヶ谷のお堀 都心の水の景色

市ヶ谷のお堀 都心の水の景色
今日は、都心で発達障害臨床アセスメントの研修です。入門編なのに、「年輩の人もチラホラですが、転職でもされたのでしょうか?」と講師のドクターはおっしゃいます。「はい。その通りです」 と思いましたが、中身はなんのなんの。入門というより、とても専門性の高いお話で、バラバラだった知識が、そもそも論からスタートしてどんどん統合されてきて、ワクワクしています。午後も楽しみです。
皆様、淵から身を躍らせていらっしゃいますか?

2018年4月 2日 (月)

まだまだ、さくら

まだまだ、さくら
今年はずいぶん、桜を見ました。ここ何日か朝夕は肌寒かったからかしら。新横浜の桜、朝です。

2018年3月27日 (火)

ラーマのつぶやき

仙台のホテルでテレビをみました。9時のニュース・・・国会の証人喚問の人間模様のあまりの空虚さに胸が悪くなるほど。

ああいうやり取りを見続けていると、こころが汚染されます。人が孚をもたなくなった姿に見えます。今日の得卦によると、5爻の君主を助けるために、彼も咎めなしとなるのでしょうか?貞であり、正であることが出来なければ、地位や財を得たとして何になるのでしょうか?

それから1時間後、シリア難民として来日した少女とその家族のドキュメンタリーをみました。「ラーマのつぶやき」という番組です。少女の名前です。

本当はPCつけて、作業するはずだったのだけど、画面から目が離せなくて。その賢さと健気さに心を打たれました。日々爆弾を恐れて生きてきた小さな少女が、「人間は怖い生きものです」と言いながら、家族を信じてポジティブに生きようとしている。胸がはりさけそうな日々が積み重なっても、まだ前をむいている。必然的に深い深い思索が生まれていて。

私は、表面的な頑張りで生きている自分を顧みて、浅いなァと恥じます。

ラーマの瞳と言葉で、汚れた心が洗われたようにおもいます。

2017年5月23日 (火)

白ボタン 今年は満開でした。もうすっかり終わって知ったけど…。


日陰の裏庭ですが、ボタンが大きく育って、今年は一段とみごとでした。

見る人がいなくても、ほめそやす人がいなくても、自分の命を精一杯輝かせています。写真をとって、皆さんにも見ていただきたいと思って、写真を送ったままにしていた下書きページを更新しました。

暑いですね。お大事にお過ごしください。

くんぷう

2017年1月10日 (火)

S子おばちゃんの思い出

四国の寒漁村に生まれ育った私たち姉弟や従兄妹軍団にとって、S子おばちゃんは、都会の香りを運んでくる人でした。大阪で教師をしていた彼女は、結婚前の20代のころは夏休みにはよく帰省していました。明るい色のジャンパースカートをはいて、パーマをかけて爪にはきれいなマニキュアといういで立ちが、まぶしかったです。

祖母のところに泊まっていましたので、私もおばあちゃん育ちだから、一緒の空間にいることも多かったです。化粧ポーチなど、目新しいこと!目を見張って叔母の持ち物を見ていました。新しい物好きでカメラをぶら下げ、私達幼い子どもたちをよく撮ってくれました。

また、クリスマスプレゼントなるものを贈ってくださる人でした。親からもサンタさんからももらったことがないのに、何がいい?と聞かれて、雑誌でしか知らない「オルゴール」と答えたことがあります。雑誌の世界の住人になったような面はゆい記憶です。

小学校入学時には、赤いぴかぴかの革靴をいただきました。田舎道では、履きこなせない。山越えに履いていって豆を作って往生したこともあります。

何より私に印象深かった贈り物は、本です。

小3のころ、作文集をいただきました。全国の子ども達の選りすぐりの作品を集めた教師用の雑誌の特集版を送ってもらいました。(たぶん私が作文が好きと言ったからと思います)その中に描かれている作品を、今で言うなら紀行文のような気持ちで読んでいました。露天風呂だの霜柱だの相馬野馬追だの見たことも聞いたこともない物事が取り上げられている、地方色豊かな作文に惹きつけられました。

後年、私も教師になった時、その時の作文集に出会いました。日本作文の会という民間教育研究団体の機関誌に取り上げられていた子どもの作品から選んで、1年に一回出版される総集編だったのです。「日作(にっさく)の○○年版日本子ども文詩集」と言います。感動しました。小3からそれを読み物として楽しんでいたなんて、なんという巡り合わせでしょう。私も若いころは作文教師でした(ネットで検索したら今も出版されていました。最新版は2016年版です)

4年生からは、年鑑を贈ってもらいました。少年朝日年鑑(今は朝日ジュニア年鑑というらしいです)だったかと思います。年鑑ですから、その年のニュースやトピックなどをあつかったカラーグラビアが巻頭や巻末にあり、中心は教科ごとの統計的なまとめや記事でした。本を読むことに目覚めたけど、周りに活字本があまりない田舎の子どもでしたので、その年鑑1冊をむさぼりました。ちょうどガガーリン少佐が宇宙旅行に成功した年でした。宇宙のことを始めて知りました。「果てがない」という説明がどうしてもわからず(今もわかりません)、画用紙に仮に宇宙を描くと、その宇宙以外のところは、何?と考え続けたことを覚えています。年鑑は隅から隅まで、くまなく読みつぶしたものです。

小5からは町の図書館の会員になって図書貸し出しを受けることができるようになり、少し飢餓状態も薄れましたが、小3、4の作文集と年鑑にはずいぶんと助けられました。

今に続く、本読みと新しい物好き(クロニンジャーのいう新奇性を好む遺伝子が働いていると思います)を育ててもらったのは、Sおばちゃんのおかげです。

 おばさん自身もずいぶん新しい物好きだったようです。遺作となった年賀状には、バンパーという玉突きをしている写真が載っています。

数年前に突然東京に現れて、「スカイツリーを見に行くから案内せよ」と言われたときにはまいりました。病院やカウンセリングルームで働いている私は、予約で生活が縛られているので、急な対応は無理でした。一緒に行って差し上げればよかったなあと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

メールもサクサクとこなし、たくさんのメル友がいました。最晩年になっても車を手放さずにゴルフにも行き、元気いっぱいで生活を謳歌しているように見えていました。一族の間では100歳まで生きるだろうと、自他ともに認めていましたのに…残念です。享年89歳でした。パソコンで作った写真入り年賀状約300枚ほどの表書きを墨を摺ってしたためて、28日の明け方3時ごろまでかかって仕上げたようです。そのあとの突然の心不全だったようです。一人暮らしのおばの孤独な死ですが、生涯現役の見本のような大往生だった思います。亡くなってから叔母の部屋を拝見した時、机の上の硯と年賀状の束が新鮮でした。「好い人生だったな」と素直に喜べました。

その叔母からの年賀状が元日に届きました。遠くに住んでいる私たちには早めの便で出したのかもしれません。

ありがとう、S子おばちゃん。子どもさんはいなかったけど、おばちゃんのいのちと精神は私たちの中に息づいているよ!

2014年11月15日 (土)

11月15日の易経からのメッセージ【山風蠱さんぷうこ・初六(初爻の陰)】腐

解散があるといいます。総選挙にかける国税は何百億円でしょうね。小1の1学級の定員を35人から40人に戻して80何億円かの節約だそうです。何か力を入れるところが違っているように見えます。国のお金は、すべて民の血税。貧乏だからこそ、我が身可愛さが透けて見える選挙は嫌です。

今日は【山風蠱】の初爻。父親の代からの腐敗やほころびを修繕してから、進めば通るという卦。腐敗というほどおどろおどろしくなくても、体や心にたまる堆積物はありますね。

総選挙もそういう意味では、腐敗のお掃除になるとよいですけど。

今日の【蠱】は時間をかけて積み重なった腐れです。手当をしないで放置しておくと、結構、身動きが悪くなってきます。我が家では、庭や部屋の片隅にある夏の衣類、寒さに弱い植物たちが、私をしまってと日々語り掛けてきます。大量の本と書類が生活を圧迫しています。片づけても片づけても押し寄せる課題が、発酵しています。

易神様からのメッセージを受けて、久しぶりの休日の今日は、のんびりと片付け仕事をしました。親の代から続くというほど大げさな腐敗はないと思いたいですが・・・。

解説は過去記事で。

今日は、【山風蠱さんぷうこ・初爻(こう)】です。お皿の上に虫が三匹。以前から放置していたことが、腐敗してきました。目をそらさず、迅速に取り除いてください。

でも、あまり正義感に燃えて、「私が正しい!!」という態度ではいけません。言い分があっても穏やかに、丁寧に取り扱いましょう。

お皿の上をきれいにしたら、またあなた本来の生き方、志を通す生き方で大丈夫です。

今日の得卦【山風蠱さんぷうこ・初爻(こう)】

卦辞 蠱(こ・やぶれ)は元(おおいに)亨る。大川を渉るに利(よろ)し。甲に先立つ三日(さんじつ)。甲に後るる三日。

爻辞(初爻) 父の蠱を幹(かん=ただ)す。子有れば、考(ちち)も咎なし。厲(あやう)けれども、終いには吉。

蠱のとき、目的は大いに通ります。大きなことをしても大丈夫ですが、まずは腐敗をただしてから。以前からの懸案事項はありませんか?甲に先立つ三日とは、辛のことで、新に通じます。甲に後れる三日、とは丁寧の丁のこと。迅速にかつ丁寧にことを改めなさいということのようです。

今日はその初爻、父親の犯した過ちを正します。丁寧に穏やかに正してください。

朝からパソコンつけて、さてブログも更新するぞと思いつつ、腐敗をただすほうを優先すればもうこんな時間です。毎日、危うい綱渡りをしています。それでも、終には、吉でした。

今日も一日好い日だったでしょうか。

くんぷう

2014年5月31日 (土)

明日の朝5:00、NHKテレビ番組「こころの時代ー導かれれば青空ー」をどうぞ。山下良道師の番組案内

御岳山の座禅合宿に行った話を5月初めに書きました(去年の秋に久高島の合宿に行ったことも)。今回は、娘の参加を助けるため私はもっぱら孫守でした。どうにか法話を一つ聞き、座禅1時間座っただけでした。でも、御岳山のパワーとその場のお坊様と皆様のパワーがすごいので、気が身内に充満しました。座っている最中に掌からどんどん気が入り満ちてくるのがわかりました。家に帰って来てからしばらくは、指先からの静電気様の放出でパソコンがまともに打てなかったほどでした。(今は、もう落ち着いています。誤変換はほとんどありません。そのころはキーを一つ打っても2,3個感応していました)

その時の合宿風景はNHKテレビ「こころの時代」のチームが取材・撮影していたようです。ちょうど、今朝の毎日新聞には幻冬舎の出版案内で「青空としてのわたし」鎌倉一法庵住職山下良道と、新しい本が宣伝されていました。

そして、山下先生からは以下のようなメールが届きました。いままで固有名詞でご紹介していなかったですが、この際思い切って、当ブログでも転載いたします。

さて、「こころの時代」の放映もせまってきました。繰り返しますが、放映は61日(日曜)午前5時〜6再放送が67日(土曜)午後1時〜2です。ただタイトルが変更になりました。「導かれれば青空」です。実際の番組の内容が、「青空」に導かれてゆく過程に焦点に当てていますので。こころの時代のサイト をご覧ください。』

見ようと思っています。読者の皆様もよかったら、どうぞご覧になってください。

私の魂の遍歴は、最初に清水寺の通信講座で仏教を学び、次に国際仏教塾で臨済宗の座禅修行をしました。同時にそのころから、心理学の諸講座やボディワーク、気功へと関心を導かれ、良い師匠に出会うチャンスがあるなら、その出会いを大切にして、体と心を解放する修行をしてきました(まあ、ブログでわかる程度の大甘の取り組みです)。

山下先生(鎌倉一法庵)の座禅は娘の婿さんから教えてもらいました。何度も書くように知りたがり屋(新規性を好む遺伝子を持っているもの)で、すぐ鎌倉に駆けつけ、座禅させていただきました。言葉でうまく表現できないですが、素晴らしい内なる体験をさせていただきました。一言でいうと自分の体の境界がなくなり宇宙にとけだし広がっていく感じでした。

その内容について一知半解でお知らせするよりは、ホームページをご覧ください。

http://www.onedhamma.com/

気功は天地の陰陽の気を自分の中に取り入れて、自分自身の気の滞りをなくしていって、よく気が巡る体にします。巡らせるうちに気力がアップします。山下先生の青空理論による瞑想は、自分が天地に通じ、一体となっていく感覚があり、気功に通じるものだなあと思いました。

易も天地と陰陽の組み合わせで森羅万象を見ていきます。「当たるも八卦」の当たる部分には、ユングの共時性理論に通じる神秘的なものがあると私は思っています。上手に説明はできません。ブログ記事全体が、その実験のようなものです。

このへんは慎重に見ていかなくては、啓発セミナーや新興宗教につながる危うさがありますので、一法庵山下良道先生のことは、なかなかブログ記事にできないでいました。

私の鑑別方法は、安価であること、万人に開かれていること、自分自身の体験で確かめられること(つまり聞いた話は信用しない)、結果オーライになることです。

そういう意味では、参加費はお布施だけですから、一法庵の座禅ー瞑想はお安いです。私に関しては気の迷いはなく、安全です。

ただし、座禅や瞑想というものは良い師に導かれないと、誰もが安全とは言い切れません。精神に関わることはその人の準備性によっては、危険もあるとみます。

幻覚・妄想体験も当然あります(解放された脳が作り出すイリュージョン、仏教でいえば阿頼耶識の種子の活動、ユングで言えば元型の活性化などなど・・・)。素晴らしい幻覚によって平時の脳の働きでは到底思い至らないことに遭遇するのが(至高体験)、ある意味瞑想の一つの醍醐味かと私なんかは思ってしまいます。でも、これを求めてはいけない。オーム真理教の惨憺たる様を思い出しましょう。

「仏に遭っては仏を捨て、魔に遭っては魔を捨て」と言われるように、平静な澄み切った心身の状態のなかに居続けることができるようにと願って、私は瞑想します。正直言うと気持ちよさを願っているだけかも。

先生の言われる青空理論はまだよくわかりません。青空である私であるとしても、悩みと無縁ということはなく、次々と雑念と煩悩の雲が浮かびます。雑念も煩悩も人間らしいので、好きです。「煩悩無尽誓願断」とはとても思っていません。青空を乞い求めない。黒雲を遠ざけない。平々凡々の泥にまみれた庶民であって良い。超越を求めないけど、体と心の気持ちよさは求めるので、気功や座禅に出かけます。

日本古来の古神道やアニミズム、シャーマニズムなども好きですので、つまり何でもアリで開き直っているので、何をやっても中途半端です。集中して自分を高める方向には動かないことが残念と言えば残念です。

・・・だから、今こうなのねと気づきがありました。

開き直らなければ、求め続ければ(誓願断であれば)、もう少し生き方が整理できたのかもしれません。

うん。書きながら、そこが問題点かと思えるようになりました。

やはり、自己省察は必要です。今日は、この記事を書いて良かったのでしょう。

皆様、明日の朝、NHKテレビをご一緒に拝見しましょう。

くんぷう

より以前の記事一覧

くんぷうさんの、ともいきブックス

  • エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)

    エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)
    これも少し前の児童書です。小学校上級から中学生くらいの人にお薦めですが、大人が読んでも面白いことは受け合います。カナダのある街に転校してきた車いすの少年デ―ヴィッドとバスケ好きの1学年上の少年ショーンのボーイ・ミ―ツ・ボーイの友情物語です。強がっていたデ―ヴィッドの心の奥底の寂しさと辛さに触れて、障害について思いを深めました。ショーンが車椅子体験をする場面もリアルです。

  • 京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)

    京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)
    児童書です。ロンドンパラリンピックの前に出版された古い本ですが、一連のリアルつながりで、読みました。 自動車事故で脊椎損傷を負って下半身はおろか、背筋、腹筋も使えなかったサッカーJリーガーだった選手が、車椅子バスケでスポーツ選手として復活するstoryに子ども達は勇気づけられることでしょう。「夢に向かって行動を起せば、必ず出会いがある」という素的な言葉に出会いました。

  • 井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~

    井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~
    漫画家井上雄彦と取材チームが、リオ・パラリンピックの車椅子バスケを取材しました。マンガ「リアル」の登場人物たちを絡めながら、現実の試合と選手たちの姿を1冊の本にまとめてくれています。写真が素晴らしい。そして、リアルの原画もあり、選手たちのプロフィールも語りも読みごたえがありました。2020の東京パラりンピックまでに、「リアル」復活を熱望します!

  • 井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)

    井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)
    暮れだったか、正月だったか?テレビで車椅子バスケの選手京谷和幸さんの特集を見ました。その粘り強さと目標に取り組む熱さに感動しました。「リアル」のモデルの一人だということが知らされ、さっそくこの漫画を手に入れました。素晴らしい漫画です。劇画中の登場人物の心情と情念が本当にリアルに描かれている。単なるスポーツ根性物語ではないです。登場人物の生き方と個性が迫ってきます。障害に向き合う姿が生々しい。リアルでありながらファンタジーも含んでいて、私はプロレスラー・スコーピオン白鳥に感動しました。プロセスを知らないおばはんを感動させる井上雄彦さんの漫画の迫力!残念ながら14巻までしか描かれていません。続きが読みたい。(息子が古本屋で既刊全て見付けてくれました)。そういえばバガボンドも途中だとか。それも息子に進められ以前に読みましたっけ。スラムダンクは読んでいません。

  • フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)

    フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)
    この本が出版された2013年に一度読み、今回二度目に読んで、このリストに紹介します。主人公マルセロは弁護士のお父さんと看護師のお母さんを持つ、アスペルガー障害に良く似た症状のある17歳。小学校入学以来、私立でお金がかかる障害児への支援が専門の学校パターソンに通っています。高校の最終学年を控えた夏休み、お父さんは、弁護士事務所というリアルな世界でアルバイトすることを求めます。マルセロはパターソンの農場で生まれたポニーの子馬を世話するアルバイトがしたいのですが、お父さんは強硬です。リアルな世界のアルバイトを成功裏に負えたなら最終学年までパターソンにいて良いと、交換条件を出されてしぶしぶお父さんの事務所で働くことになりました。 マルセロはオフィスの中で、衝撃的な写真に出会います。顔面の半分が削り取られている映像なのに、その子の瞳が強い思いを発して迫ってきます。直属の先輩ジャスミンと一緒にその子を探し出そうとします。ここからはミステリー仕立てですのであまり詳しくは書けません。 マルセロにとってリアルワールドとは、障害があろうとなかろうと、思春期の男性として通過しなければならない世界です。性の芽生えや、異性への関心もテーマです。一方で裁判の中で争われる正義と不正義の交錯する世界もあります。自己の実感に基づいた行動を通して世界へ関わろうとするマルセロは嘘がないという意味で最もリアルな存在かもしれません。現代アメリカが抱える貧困や差別などのリアルな現実も描かれています。 自分の思いを的確、適正な言葉で表現し、コミュニケーションに反映させたいと苦闘するマルセロが発達障害を理解する上で参考になります。私も自分の思いにぴったりした言葉を探して苦労をなさっている方々と出会っています。会話がゆっくりだから知的に劣っているわけではないのです。何も言わないからといって、何も考えていないわけでもないのです。その辺りの当事者としての在りよう(叙述)に大いに学ばされました。発達障害に関心のある方もない方も、現代アメリカ小説として「時代を映す鏡」として楽しめる作品ではないかと思います             

  • ニール・シャスタマン: 僕には世界がふたつある

    ニール・シャスタマン: 僕には世界がふたつある
    作者の後書きによると「アメリカの3世帯に1世帯は家族の中に精神疾患に悩まされてい」るそうです。翻訳者の金原瑞人さんは、訳者あとがきで「本文を全部読む前に読まないで」と書いてあります。上質のミステリーであり、ファンタジーも内包しています。読み終わった後、また初めから読み返してああ、この人があのキャラで・・・と振り返りたくなりました。私は書名からある予断をもって読み進みましたが、それでも十分に引きこまれました。当事者でなければ書けないような描写で叙述されています。それは作者が当事者家族でもあるからです。疾病と回復の物語です。今映画化が進んでいるそうです。話が進むにしたがって頭の中に映像が動きだしてきて惹きこまれます。ゲーム世代ならなおさらと思います。

  • 長谷川ひろ子・秀夫: 生死いきたひ 生前四十九日

    長谷川ひろ子・秀夫: 生死いきたひ 生前四十九日
    タイトルの「いきたひ」は、書影で見られるように本当は生と死が合体した造字で、著者が考案したものです。「生きたい」「生きた日」と読めます。生に切れ目なく死が続いていることも読み取れます。著者は同名の映画を自主制作されました。悪性リンパ腫で40代の若さで亡くなったご主人の希望でなくなる前の家族の看取りの様子を映画に撮られました。ご自宅の畳の上で亡くなられた後、4人の子どもさんと著者は朝まで添い寝をされます。その映像を中心に、後から「畳の上での看取り」「腕の中に抱えた看取り」「看取りができなかった死に向き合う」方々のインタビューなどで構成されています。死を恐れるあまり、私たちは自分の死も家族の死も本気で真剣に向き合ってこなかったなあと思います。この映画に触れ感動した人々が全国で上映会をされています。看護や医学を学ぶ人達の学校でも上映されています。私は、看取りを専門にする看護師さんから紹介されて映画を見、この本も読みました。本気で向き合わなければならない死が私の周りにもあります。ゆっくり考えています。

  • 藤井克徳・池上洋通・石川満・井上英夫 編: 生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの

    藤井克徳・池上洋通・石川満・井上英夫 編: 生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの
    2016年の相模原殺傷事件の後、衝撃を受けながらも、黙ってはいられないと、障害について深くかかわっていらっしゃる6人プラス4人の方による、深い思考と問いかけの本です。タイトルの「生きたかった」から、犯人の投げかけた差別思想に対抗する書物であることが伝わってきます。6人の執筆者は、編者の4人の他に、盲聾重複障害の東大教授福島智さんと精神科医の香山リカさんです。他に、当事者・家族・支援者の立場の方4名も思いを綴られています。福島さんが述べていらっしゃるように、今は、障害の有無にかかわらず、誰もが生きづらく感じている現代日本の社会です。今回のこの事件を自分の問題として考え続ける努力を積み重ねていきたいです。自分には無縁と思っていた優生思想とヘイトクライムのその芽が自分の中に存在しないかどうか?自己点検の目も必要です。

  • 手嶋 ひろ美: 笑われたくない! (文研ブックランド)
    主人公結花は脳性まひのある小学4年生。不自由な体を笑われたくないといつも思っています。ところがお楽しみ会の出しもので結花たちの班は、二人羽織をすることになったのです。班の男子はわざと変な食べ方をして、みんなに笑ってもらいたい。結花は一生懸命、羽織の後ろの小雪と練習して、上手に食べるところを見せたい。心の中で「笑われること」にとても抵抗があるのです。 脳性まひの人の体の不自由さからくる心の苦しさ、社会の側のバリア、周囲の無理解などが結花の視点から丁寧に描かれています。私自身も今だに笑われたくないと思うことがあります。障害があってもなくても、人と違う自分を受け入れると、笑われることなどどうでも良くなるように思いました。大切なのは自分がどう生きるかということですね。著者自身も脳性まひのある人で、車いすの自分をじろじろ見る人には、自分からにっこり笑ってみるそうです。
  • アン ブース: 霧のなかの白い犬

    アン ブース: 霧のなかの白い犬
    17年度の小学校高学年の読書感想文課題図書です。主人公たちは中学生です。おばあさんの認知症と白い犬を飼い始めること、など読み始めのアイテムには、確かに小学生も関心を持つでしょうが、読み通し、内容世界に迫るには小学生にとっては難しすぎると思いました。世界の国を知り、歴史的な知識も持ち始める中学生以上に読んでほしいです。高校生でも大人でも読みごたえはあります。ネタバレになるので、おばあさんと白い犬の関係を紹介できないし、論じられないのが残念。主人公ジェシーたちはイギリスの田舎町に住んでいます。その小さな村にも移民に職を奪われたお父さん(出稼ぎにフランスへ!)や、ダウン症の村人や、学校でのいじめ、家庭の問題など、子どもが気にせずにはいられないことが満載です。ファンタジーものにどっぷりつかっている、日本のヤングにも主人公と一緒におばあさんの子ども時代を探索する旅に同伴してほしいです。イギリスやドイツの児童文学やヤングアダルト文学が障害や戦争、平和の問題を掘り下げて描いていることにいつも感心します。70年以上前の戦争の傷跡が今を生きる人間関係に影を落としていることは、日本もアジアも同じことです。ナチスの問題を自分に関わりのあることとして考えました。

  • 伊藤亜紗: 潮新書 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

    伊藤亜紗: 潮新書 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか
    この著者の専門は美学や現代アーツです。ですが、元は生物学を目指していらっしゃったそうで、身体を論ずる視点が面白い。「目の見えない人は世界をどう見ているか?」もユニークな本でした。スポーツは基本的に身体条件が違う人が一定のルールの元で(公平さ)競うもの。目が見えないというハンディキャップがある人どのようなルールの元で、どのような身体の使い方をして、誰と協働して、思い切り競技・競争ができるのかを、現役アスリートへのインタビューを通して論じています。人間の身体の不思議、能力の果てしなさを思います。パラリンピック、是非観戦したいです。描かれている競技はブラインドサッカー、競泳、陸上、ゴールボールなど。

  • 古内 一絵: フラダン (Sunnyside Books)

    古内 一絵: フラダン (Sunnyside Books)
    男子が圧倒的に多い工業高校の中に女子ばかりのフラダンス愛好会がある。そこに入部した男子4人。リーダーは「フラダンス甲子園」での優勝を目指している。フラ本来の文化的意味を強く持つ男踊りを組み込んだフォーメーションを考え意欲満々。そればかりでなく、フラ愛好会「アーヌエヌエ・オハナ(虹のファミリー)」は慰問活動にも熱心に取り組んでいる。読み進むうちに笑顔が重要な要素であるフラダンスの魅力にはまる。高校生の人間模様はどこであろうと、多数派と少数派のぶつかり合いがあり、自分自身の中の青春の葛藤があるが、この物語の舞台は福島県。震災と原発事故を背景にした複雑な思いが描かれている。物語の転換点は仮設住宅への慰問でぶつけられた住民の言葉であるが、福島以外の中高生にどこまで伝わるか気にかかる。第63回読書感想文コンクールの課題図書となっている本書。原発発災の時はまだ小学生だった人達が今高校生である。風化の中でおためごかしの復興が叫ばれている。この本は楽しみながら読める痛快学園ものである。多くの高校生に手に取って欲しい。そして、今も故郷に帰還できない人達の困難と原発事故・放射能被災という現実を登場人物の苦しみを通して読み味わってほしい。(といっても既に現状はもっと進み、避難指示解除による国と電力会社の住民切り捨てが広がっている。仮設住宅は閉じられ、復興公営住宅への転居とまたまた新しい環境への適応を強いられている人達が多くいるが本書ではそれについては描かれていない)

  • 池田 晶子 睦田真司: 死と生きる―獄中哲学対話

    池田 晶子 睦田真司: 死と生きる―獄中哲学対話
    池田晶子さんと獄中死刑囚(強盗殺人犯)の往復書簡集。哲学の本は読み通すことが難しく苦労するのに、この本は短時間で読み切りました。初めは寝掛けに布団の中で睡眠薬代わりに読んでいました。中盤は、続きが読みたくて朝起き掛けに。そして、最後は事務机で姿勢を正して読みました。往復書簡は、死刑囚である睦田さんから、池田さんへのファンレターが雑誌の編集部に送られてきたことから始まりました。池田さんの著書(一連のソクラテスもの)によって、自分自身の罪と罰に向かい合い、殺した人の命の分まで「善く生きる」と決意している自分自身の死生観、今現在の哲学が述べられています。池田さんはその彼に本気で向かい合い、「甘い」としかり、罪と罰、殺すこと、死刑による死に向かい合い、もっと考えろと迫ります。池田さんの人間的な一面がよく現れていて、思わずクスリとしたりして哲学が苦手な私にも読み通す意欲を与えてくれました。二人とも理知の人で池田さんによれば良く似ているとのこと。言葉によって現象を吟味し思弁し尽くすお二人の姿を通して、いい加減な自分自身の生き方に反省が生まれます。死について考えている今だから出会った一冊です。生き方を考えるとは、死を考えることだと思います。

  • 志賀 泉: 無情の神が舞い降りる (単行本)

    志賀 泉: 無情の神が舞い降りる (単行本)
    物語の舞台は南相馬市小高(原発20キロ圏、旧避難指示区域)。あの日(2011年3月11日)から半月あまり、町に残っている人はほとんどいない。俺は町を離れなかった。瀕死の病人である母を今動かせば、即、死につながると案じて。母はゆっくりと衰弱していく。無人の町で、30年前の記憶が交錯する。俺の家はしがない床屋だけど、近くの八坂医院には、あこがれの転校生が住んでいた。彼女は孔雀を飼っていた。俺は孔雀のエサとして蛙を取って来る係だった。そして切ない悲劇が舞い降りる。今、無人になった医院の孔雀小屋に、黒犬が残されている。人間の避難に犬は連れて行けないから。痩せこけている犬に餌をやる。そうこうするうちに母が死に、黒犬はペットレスキューのボランティア女性に託される。巨大化した美しい羽でメスを呼び寄せる孔雀はうまく飛べないというリスクを背負う。原発は孔雀に似ていると俺は語る。止めようとしても止められない肥大化した姿。原発爆発後、半月経過した町の描写が心に残る、表題作。小高の街を歩くと彼に出会いそうな錯覚がする。もう1編「私のいない椅子」が収められている。こちらは、阿武隈山脈の海側、原発のすぐ近くに住んでいた女子高生が主人公。その反対側の地に避難、転校している。福島の高校生が、今を映した映画を創る物語。私の母は自分の両親を津波で失ったが、遺体捜索もできなかった(避難指示で)ゆえに海から離れられない。私は一人親戚のおばを頼って避難しているが、あの山の向こうを超えて、海辺に帰りたい。初め映を引き受けていたけど、声高に原発反対を叫ぶ映画に変容していく制作側(避難を受け入れる側)の高校生や支援の制作グループの主張に沿っていけずケンカして役を降りる。私はただ、自分の存在を映画を通して、今は散り散りになった友人たちに届けたいだけ。ロケで海辺の故郷に行くことが望みなだけ。映画は私とは無関係に進行し試写会が行われる。すでにそれは「わたしのいない椅子」になっている。私は義援金で買った新しい自転車で海辺の町に向かう(もちろん本当は帰れない町)。原発立地の町の女子高生の身になって、違和感なく物語の進行につき合っていけた。作者は小高で育ち、今は休校中の双葉高校を卒業した人。現在進行中の原発被災地の中側に立った物語。ホンの小さな話だけど、細部に神が宿る。あの事故がそこに住まう人々の暮らしと内面に何をもたらしたか?ドキュメントではなく文学で伝えられることは貴重なことと思う。

  • 中井 久夫: いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉

    中井 久夫: いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉
    著者は日本の精神科医の中でも、最も誠実に独創的に患者さんに向かい合ってこられた方だと思います。読者は、自分がお医者さんでなくても、人に向かうには、自分に向かいあい受け入れるには、どうしたらよいのか?そういった疑問を抱いて読めば、必ずヒントがもらえるようなご著書が多いです。私もずいぶん読ませていただいてきました。難しい学術書もありますが、一般書として書かれた本も奥深いのです。この本は、ご自身の子ども時の体験から今現在のいじめを受けている子どもたちに救済の言葉を紡いであります。「こころが傷つく」とはどういうことかということを、精神科医としての理解と元いじめられっ子だった体験とを合わせて子ども(小学生から高校生まで、いえ元いじめられっ子だった数々の大人にまで)にわかりやすく語りかけます。「いじめ」は「人間奴隷化」のプロセスと説明してあります。いじめの進行は、孤立化⇒無力化⇒透明化のプロセスをたどり、いつしかその場に居てもいない人になり、いじめがあっても周りに見えない状況になり、激烈ないじめが続くというその過程と構造を子どもも大人も知ってほしいです。どうしたら抜け出せるか?対策は?まずはいじめられている子の安全の確保をし、次には孤立感の解消、そして大人として、これからは決して孤立させないという保障の言葉を伝える。そのあとに、いじめられた子どもの心の傷(罪悪感、卑小感、劣等感などをふくめ)の手当てが必要です。この本を読むことは、そのための大きな手当の第一歩になることと思います。著者は60歳を過ぎて、阪神淡路大震災の傷ついた被災者に向き合う中で、自分自身の子ども時代のいじめられ体験の傷がなまなましく浮かび上がってきたと述べています。それほどに心に傷を負うことは、深く恐ろしいことなのだと改めて思いました。

  • ティク・ナット・ハン: マインドフルの奇跡―今ここにほほえむ (からだの冒険こころの冒険)

    ティク・ナット・ハン: マインドフルの奇跡―今ここにほほえむ (からだの冒険こころの冒険)
    ティク・ナット・ハンの本を紹介するならこの本を!と思って書架から取り出しここ2週間ばかり読んでいます。最初に出会ったマインドフルの本です。もう20年以上も前の出会いです。解脱を説く本です。物事、真理、現実とのかかわり方や見方を、ハン師が到達し体験した瞑想法を通して教え導いてくださいます。結局、いのちは一つ、すべてのものが繋がっているということを、実感をもって観相し、体験することが出きればよいのです。それが、呼吸を見ることであったり、互いの関わりを深く瞑想することであったりするのですが、勿論私はその入り口にも立ててはいません。ですけど、柔らかなかたり口ながら、うまずたゆまず努力すれば、体と心が安らぎ、やがては明晰な意識を保つことが出きるような生き方もできるかもしれないと希望を抱かせていただける本です。寝る前のぼんやり頭で読んで、身につくかどうか?心もとないですけど。

  • ティク・ナット・ハン: 怖れ~心の嵐を乗り越える深い智慧~

    ティク・ナット・ハン: 怖れ~心の嵐を乗り越える深い智慧~
    最近はマインドフルネスという言葉をあちらこちらで聞くようになりました。NHKでも、ストレス対処に一番有効というようなスタンスでドクターや心理士登場の番組の中で紹介されました(NHKスペシャル「シリーズキラーストレス」)。瞑想による心身の深い境地を「すべてに気づいている」という意味のこの英語に訳したのが、著者だったと、私は理解しています。ベトナム出身の大乗仏教のお坊さん。今は、フランスを中心に活動されています。たくさんの本があります。一冊読んで何かが分かったというような知識伝達の本ではなくて読みながら、自分自身の心身に適用していく実践の書です。でも、内容は深い。般若心経の、解説の本のようでもあります。叔母の死に際して、生と死や、自分自身の来た道還る道を考えている時、たまたま目の前の机の上にあり、今読みなおしています。死を畏れない。過去と未来の不安に飲み込まれない。ただ、今を生きるために怖れを優しく包み込み「マインドフルに呼吸する」ことの大切さを説く、実践の書です。

  • 中澤 正夫: 死のメンタルヘルス――最期に向けての対話 (シリーズ ここで生きる)

    中澤 正夫: 死のメンタルヘルス――最期に向けての対話 (シリーズ ここで生きる)
    著者は、椎名誠の怪しい探検隊に同行する精神科医。椎名のエッセイを楽しんでいるうちにこちらのドクターの本も出ると読んでいる。5月から刊行され始めた岩波の「シリーズここで生きる」の第1弾。新聞の大きな広告に惹かれて読んだ。ご自身の終活の話より、対談やインタビューした方々の話の方が面白い。100歳の現役精神科医の研究や治療への向き合い方に励まされた。終章に私も行っている福島関連のボランティアの話があって、ちょうどそこに行くときに読んだのでドキドキした。死への向き合い方は人さまざま、参考にはならない。むしろ生き方として参考になる。著者は何度も無宗教ということを強調している。はてさて後には何も残らないのか?そんなはずはないよねと私は思う。

  • ドリアン助川: あん (一般書)

    ドリアン助川: あん (一般書)
    この本を手に取ったとき、りーかあさまを読んだすぐ後だったので、ハンセン氏病関連が続く偶然に驚いた。意図して読んだものではない。ドリアン助川つながりで手に取った。タイトルの「あん」とは、どら焼きの「あん」のこと。千太郎はあるいきさつで小さなどら焼きのお店をまかされている。あんは既製品の缶詰を使い、その日に売れ残ったら冷凍保存して翌日新しい缶のあんと混ぜ合わせて使う。借金返済のために年中無休で一人っきりで鉄板の前で働いてもう5年になる。話し相手が欲しくて「バイト募集」の張り紙を出したら、どう見ても働くのは無理でしょうと言う感じのおばあさんが現れた。「こういう仕事をしてみたかったの」と訴える。姿は指が曲がり、左右の目の形が違っていて表情もどこかおかしい。彼女は千太郎のどら焼のあんは作った人の気持ちが感じられないと言う。持参したタッパーには極上の手作りのあんが入っていた。雇うのは無理と思いつつ、彼女のあんとゴミみたいな安い時給でよいということに惹かれて雇うことにした。それから、彼女に厳しく指導されながら、本物の小豆の扱い方を学び、手作業を覚え、彼のお店は繁盛する。読み手も千太郎のあん作りに同行しながら、あん作りの醍醐味や極意を教わったつもりになる。あずきにしっかり気持ちを向けて、小豆に働いてもらうようにというおばあさんの気合の入った言葉が心に響いてくる。そのおばあさんは、指が曲がったままというところから近くにあるハンセン氏病の施設の人ではないかという噂が広がり、お店の客足は途絶えてしまう。ハンセン氏病という病気の実態も知らず、長い間社会的隔離をされてきて療養所以外で暮らすことのかなわなかった人々がいたことなど、まるで知らない今の若い読者にとっては、半ばミステリーのような物語であろう。作中の女子中学生と共にあん作りの名人76歳の吉井徳江さんに感情移入して、いつ、どうして、なぜという、謎解きをしながら、徳江さんの生きてきた道をたどって欲しい。白いブラウスの似合う女学生が終生を療養隔離施設で過ごさなければならなかった残酷を思う。林に還っていった徳江さんの最期に泣いた。

  • 中村 茂: リーかあさまのはなし: ハンセン病の人たちと生きた草津のコンウォール・リー (ポプラ社の絵本)

    中村 茂: リーかあさまのはなし: ハンセン病の人たちと生きた草津のコンウォール・リー (ポプラ社の絵本)
    子どもの頃、なぜかしらずハンセン病をとても怖いものと思っていました。伝染する力はとても弱いのですが、隔離政策によって、日常の生活場面ではその病気の人に出会うこともなかったけど、それだからこそ病気が進行した場合の恐ろしさを意図的に民衆にしみこませたのでしょう。この物語の舞台は隔離や人権弾圧の激しくなる昭和初期よりもっと以前、明治末期の頃の草津温泉の一隅にあった湯の沢というところです。のちにリー母様と呼ばれて、湯治場に集まったハンセン病の患者さんに親しまれるようになったイギリス人宣教師、コーンウォール・リーの物語です。病気におびえ絶望的な暮らしをしている人々によりそい、病気であっても喜んで暮らせるようにと心を砕きました。その地を「よろこびの地」に変えるようにと学校や病院を建てたその活動は、今も草津の地に語り継がれているそうです。病気や障碍の姿を知ることは、心のバリアを取り去るためにとても大切なことと思います。100年前に遠い異国に来て、病者に寄り添い励まし、行動した人が実際に居たことを子どもの頃の私も知りたかったように思います。でも今になって絵本で知ることができて、それもとても重要なことに思えます。