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カテゴリー「易占い」の1296件の記事

2018年12月16日 (日)

12月16日の易経からのメッセージ【坎為水かんいすい重坎・九五(5爻の陽)】困難を重ねてきたけど、そろそろ抜け出せそうです。無理をしてでも往けば、尊ばれます。

昨夜、伊丹空港に泊まり、京都に向かっています。国際会館でのセミナー「こころの健康会議」に参加予定です。臨床心理士の資格更新のために必須の会議みたいです。ポイントは貯めていたので大丈夫と思っていたところよくよく調べてみれば、これに出なくてはならないとわかり、大慌てです。抽選に当たりなんとか書類を調えるのに間に合いそうです。 せっかく京都に行くのに神社仏閣、どこにも行けません。早起きして朝の時間にとも考えたのですが、バタバタしそうで止めました。このところ、ようやく「無理せず動く」という判断ができるようになってきました。 以下、過去記事です。

今日は困難の渦中にある難卦【坎為水】です。その中でも5爻はずいぶん久しぶりです。 すでに、穴に陥って久しい、そろそろ抜け出せるかなという卦爻です。

艱難は、自ら招いたもの。主体的な努力の積み重ねにより、凹みを埋めてきました。脱出できる日は近いです。

【坎為水】習坎は孚(まこと)有り。維(こ)れ、心、亨(とお)る。行きて尚(たっとばれ)る有り。

5爻 坎(かん=穴)、盈(み)たず。既に平らかなるに祗(いた)る。咎なし。

この世は坎(かん=あな)難ばかり・・・ああ、苦しい。でもくじけないで一途で誠実な努力を重ねている。その孚の心があるから、その道を進めばやがては尊敬されることもある。

難卦と言いながら、最終的には努力によって抜け出せる卦です。そこが、災いに遭う卦とは違う。

今は、しきりに穴に水をためる努力をしている。でもまだ満ちていない。そう思えば苦しいけど、ちょっと立ち止まってみましょう。

流れも、今はゆるやかになっているもよう。

満ちれば溢れるのが順当ですが、まだ溢れるところまではいっていません。

満杯じゃあなくてもいいではありませんか?

貯まった水の面(おもて)は静か。穏やかになっています。

過去の苦しさを振り返って焦ったりしないでね。

穏やかな今を嬉しく思い、有り難く思い、静かに生きていければ、咎めなし。

祗という字を「いたる」と読みます。つつしんで神に祈る。それが「いたる」という訓になります。

全体運は、非常な困難の中ですが、誠心誠意で、行けばやがてはとおります。

既に静まっているのに、不満の方に目を向けてばかりでは、いけない。

心を鎮めることが大切です。

最近、わたしはあまりじたばたしないでいます。もう忙しさがコントロール能力を超えているので、日々今日できることをする。できなかったら、それまでで、「ごめんなさい」の心境です。

既に平らなるに祗(いた)る。欲をかかずに、今の居る場所を大切にというメッセージと受け取りました。

以上の過去記事は4年前の記事ですが、まるで今朝書いたみたいに心境が重なります。

くんぷう

2018年12月15日 (土)

12月15日の、易経からのメッセージ【山風蠱さんぷうこ・初六(初爻の陰)】放置しておいた課題を整理する。疲弊や腐敗もあるでしょうが、無理せず丁寧に始めましょう。まだ、初爻。先を見据えての行動が大切。

昨日は落としてしまいました。【地水師・上爻】戦いを終えて、次を見据えての、論功行賞。人員配置の時でした。小人は用いずが、キーワードです。

今日はなんと3年ぶりの記事です。【山風蠱】蠱は、
お皿に乗せた食べ物に虫がわいている字です。過去からの腐敗を正す時。

父の蠱を幹(ただ)す。父の残した課題を子であるあなたがただします。それで父も名誉回復。

ただし、無理せず穏やかに。父のところを先祖からのと読みといても良いし、自分自身の以前からのやり残しの課題ととってもよいでしょう。

はい。あの課題を放置しておきましたね。手をつけましょう。

今日も一日、好い日でありますように。

くんぷう

2018年12月13日 (木)

12月13日の易経からのメッセージ【火沢けい・九四(4爻の陽)】背き合う流れがあり、孤独だったが、以前のパートナーと逢い、こころを交流する。なんとか持ち直しそうです。

今日も夜になっての更新です。多職種協働の現場で息つく暇もない日常が、追いかけて来て、記事を書く意欲もないのですが、気持ちだけでもお伝えしたくて更新します。今日は、不和反目に要注意の日です。

流れが悪い。若い女と、中年の女の対立を想像して見てください。

孤独な想いでいましたら、昔仲良くしていた人と出会い、気持ちを交わし合いました。あ互いの孚の心か嬉しいです。

今日も一日好い日だったでしょうか?これからでも交流して見てください。

くんぷう

2018年12月12日 (水)

12月12日の易経からのメッセージ【沢火革たくかかく上六(上爻の陰)】あなたのアップデートは既に終わったようです。姿形を美しく整えてください。表面はガラリと変わっても良いですが、これ以上の改革を進めるのは凶。。

今年何度目の【沢火革】でしょうか?それも以前はめったにいただかなかった上爻です。君子は豹変する、の出典の上爻です。

国の姿に重ねてみると、上爻の「小人は面を革(あらた)む」という言葉が何やら示唆的です。表面だけ改革したふりというやり方で、ものごとを進めたら凶ですよ、と易神さまは警告されています。

過去記事さえもほとんどない【上爻】を立て続けにいただいて、深く考えこんでいます。「改革まったなし」と読み取るよりは、これ以上の変革を求めるなら、凶という方を重視したほうが良いかもしれません。

今日は【沢火革・上爻】です。我が身にも大きな変化が始まっているように思います。

物事が改まり、変わるとき。已日(いじつ)すでに改めるべき日に至って、改めるなら革命は成功する。という卦です。上爻は、改めるべきことが終わって、君子が輝くとき。小人は自分の面持ちを改めて新しい体制に従いましょう。というときです。

今日の得卦【沢火革・上爻】

卦辞  革は已日(いじつ)にして、乃ち孚(まこと)す。元(おおいに)亨る。悔い亡ぶ。

爻辞 君子は豹変す。小人は面を革(あらた)む。往けば凶。居れば貞にして、吉。

くんぷうさんの解釈

已日(いじつ)とは、時すでに至る日という意味です。改めるべき日に至ってから、改めるなら、人はこれを孚(まこと)として、信服する。そうでないなら革命しても成就しないということなのでしょう。

今、何か身辺に変えるべき事抱えていて、努力されてきたのではないでしょうか?本当は改革は成ったと捉え、あとは美しく整える方に精力を傾ける。これを保ち続けることも並大抵ではありません。

以下に易は改新・革命をどう見ているか紹介します。

初爻 黄牛の革(かわ)で身を固めて(守って)革命の準備をする。

2爻 已日(時至ってちょうどその日=終わる日)に、之を革す。往けば吉。咎なし。

3爻 往けば凶。正しけれども危うし。革言三度就(な)る。まこと有り。

4爻 悔い亡ぶ。まこと有り。命を改む。吉。

5爻 大人が虎のように(美しく)変わる。

6爻 君子が豹のように変する。(美しく・力強く変わる。)小人は面を革める。往けば凶。(これ以上進めてはいけない)貞に居れば吉。

*君子豹変は本来は積極的意味でした。革命に功績のあった君子が秋になって豹の毛皮の模様が美しくなるように変わる。という意味でした。が今は、急に態度を変えることで、それが悪い意味にとられることが多いようです。本来は、天命(天の流れ)で、時が至れば自然に必要な変化が訪れ、それは身の内から変わる美しいものと、私は読み解きました。

今日も一日、好い日でありますように。

くんぷう

2018年12月11日 (火)

12月11日の易経からのメッセージ【艮為山ごんいざん・六四(4爻の陰)】あなた一身にとどめておいて、動かない。悪を正すこともせず、善も欲せず、とまっているなら咎め無し。

今日もパソコントラブルを抱えました。私用のPCの電源コードを、本日の職場に忘れて来ました。明日、明後日は福島です。

今夜に、今週中に仕上げてメールでやり取りする仕事をいくつも抱えていている身ですのに、どういたしましょう。

動かず身にと止めているなら咎め無し、ですから何もてを打たなくても良いのかもしれません。

夜にPC仕事をするような生き方はもう嫌だなあ、とつくづく思います。
このところ流れがわるくて、動いちゃあいけないみたいだけど、そうも
言っていられなくて。

今日も一日、好い日でありますように。

くんぷう

2018年12月10日 (月)

12月10日の易経からのメッセージ【水火既済すいかきせい・六四(4爻の陰)】

今年はめったにいただかない【水火既済】その中でも4爻は珍しい。過去記事は2007年からとりました。

今日は、職場でパソコンが動かなくなり、慌てました。研究の仕事も体力勝負のこともあり、新鮮頭でないと務まらない面もあり、大丈夫かなあという局面です。

少しずつボロ布で穴を埋めるような気分にもなります。

以下過去記事です。フォーカシングの体験ワークショップに通っていたころです。懐かしいなあ。私は、今でも易経からのメッセージを読み解くときにはフォーカシングを使います。体で感じるということを重視していますが、バタバタ暮らしている昨今は、以前のように、丁寧にこころとからだにきくことができません。

昨日のフォーカシングの体験が尾を引いていて、何か心が沈んでいます。わかってもらえないということの、せつなさ。易というものに、時として人がみせる拒否反応を目にして。

自分一人で面白がっているうちはいいけど、無防備に「易」を持ち出してはいけないなあ。と反省しきり。このブログもどうなんでしょう?双方向でないので独りよがりのちょっとあやしい記事だらけですね。

そういうことを少しずつ、自分なりにわかっていったほうがよろしいのでしょう。警戒心も必要だよね。と。

厳しい反応があって、ありがたいものです。

今日の卦は【水火既済すいかきせい・4爻】

初爻から6(上)爻まで、陰陽が互い違いにならんでいます。奇数の1、3、5の爻が陽。偶数の2、4、6の爻が陰。これは正しい位置に正しい爻があるということ。上下も対応し、形が整い、何の不足がありましょう。という卦なのに、運勢的にいうとそんなによくありません。

今日はその4爻。漕ぎ出した舟に穴があいていて、濡れるかもしれない。ぼろ布を用意して、終日警戒しましょう。それぐらいの用心があれば、何とかしのげるでしょう。

完成した姿は、やがては崩れるだけ。易経はものごとをそのように見ます。そして、そのくずれの先に事が改まっていくのです。今日の卦はその裏に新しいものが生まれ、物事が改まる【革かく】が隠されています。多分舟の乗換えなども、いずれは。

今日の得卦【水火既済すいかきせい・4爻】

卦辞 既済、亨(とお)ること小。貞に利(よろ)し。初め吉にして、終わり乱る。

爻辞(4爻) 繻(ぬれる)とき、衣袽(いじょ=ぼろぬの)有り。終日戒む。

くんぷうさんの解釈

既済のときは、小さいことしか通りません。貞正を忘れないで。初めは好いけど(整っていますから)、しまいには乱れもでてくるでしょう。

繻は文字通りの意味なら、つやのある(ぬれたように見える)絹織物(繻子しゅす)のことです。古来からの易経解釈では、これを音が同じ濡とみて、水に濡れること。水漏れがあることとしています。衣袽とはボロ布のこと。舟などの板の継ぎ目などに詰め込む詰め綿など。破れ目に詰め物して、だましだましやっていきましょう、ということでしょうか。一日中身を謹んで、戒律守って暮らしましょう、ともとれます。もう水漏れしてますので、遠出は禁物とも。

4爻は陰の爻です。これを裏返して陽の爻にすると、この卦は【沢火革たくかかく】に変わります。裏にそういう変化の方向を含んだ卦だとみます。

今日も一日好い日だったでしょうか?

くんぷう

2018年12月 9日 (日)

12月9日の易経からのメッセージ【艮為山ごんいざん・六二(2爻の陰)】今の状況に踏みとどまる。上の立場の人が頑固。あなたの気持ちはくみ取ってもらえないが、それを抱えて生きる。

今年ももうすぐ終わるのかと思うと、軽い驚きがあります。こころのありようがあまり変化しないことも驚きですが、それよりも今年はやってきたことの多さに驚いています。

学生や研修生の身でなくなり、心理士となり多様な仕事をさせていただいています。今年は資格試験も終えました。いつもいつも重荷を背負い、高い山を登っていくような気分です。これはもう、心の習慣というよりカルマ(業)に近いもののように思えます。

いつも自分にセルフカウンセリングを施しています。こころの声を聴こうとしています。でもなかなかカルマは軽くならない。

心を重くしないで、高い山を一歩一歩登っていくために問いかけます。「こんな辛いなら、私には無理だ。」「こんな辛さを克服してこそ私だ」というような、「私に囚われた観方」の変容を目指しています。

カウンセリングでたくさんのクライアントさんの重い道に同道する巡礼であるのは当然のこと。子どもの本の仕事も手放さない。福島でのボランティアも行き続けることが大切。気功も元気の素。こう書いて気が付きました・・・何か執着していますね。私に囚われないと言いながらなんとたくさんのことに囚われていることか。

とらわれないで、できること、必要なことをする。させていただく。

今日はすでに参加費を払っている有料の研修会をパスしました。今日中にしあげたい原稿があり、明日からの1週間を考えると午前様になるほどの夜中の仕事はできないと判断して、本当に学びたいことだったけど、ご縁がなかったと諦めました。こういう判断ができたことをうれしく思います。今、少し楽な気持ちです。昼間のうちに原稿を書けることが嬉しいです。

今日のメッセージです。

今日の得卦【艮為山ごんいざん・2爻】

卦辞 其の背に艮(とど)まりて、其の身を獲(え)ず。其の庭に行きて其の人を見ず。

爻辞(2爻) 其の腓(こむら)に艮(とど)まる。拯(すく)わずして其れ随う。その心、快(こころよか)らず。

くんぷうさんの解釈

艮(ごん)は、止まること。人の背中はからだの中では最も動かないところと見ます。動かない場所に止まって、(心を動かされないでいると)その身=身体の欲望に従わないですむ。人の庭(家)にいっても、そこで動いている人を見ない。そうすれば咎なし。なんとかなる。

動かない方がいいよ。というだけでなく、「背にとどまり」「その人を見ず」というところに、心が惑わされないヒントがあります。とにかく動くもの=データやお金、人の気持ちに気を奪われすぎない。惑わされない。また、人間関係に神経をつかわない。

会社でストレス状況になったら、人を見ない。動くもの・変動するものを見ない。窓から見える景色とか、自分の夢をかいたカードとか心癒される景色の写真とかを眺めて、危機対応してくださいね。

同じ状況がいつまでも続くことはありませんので。踏みとどまってください。

そういう卦辞ですが、2爻は中正です。あなたは間違っていません。が陰の爻で、力が弱い。上下にくっついて動かざるを得ない立場である。腓(こむら=脚)に止るというのは、体の上部に引きずられて脚が止まっているということです。

納得しないで動くと、いやあな気持ちが湧いてきます。

上手にNOを言うか、ほどほどの対処(ウソも方便)を使って、踏みとどまった方がよいでしょう。心の不快に留まるということも、とっても大切。不快や不安へのエクスポージャー(さらされること)は認知行動療法の要です。とどまっていると不安は下がります。じたばたすると上がります。

認知行動療法と、易経のコラボレーション、その上に宇宙に繋がる自分としての実感が得られれば、心はやがて、伸び伸び広々することでしょう。期待を込めて。

今日も一日好い日でありますように。

くんぷう

2018年12月 8日 (土)

12月8日の易経からのメッセージ【沢山咸たくざんかん・上六(上爻の陰)】感受性が高まっています。でも、色々感じても口にはしない。

今日もゆっくりは書けませんが、午後からの講演と夜のカウンセリングにこのメッセージを生かそうと思います。

過去記事でどうぞ。

感受性が高まっている今、語りたいことはたくさんあるでしょうが、言葉を惜しんで、内に秘めていた方がよさそうです。冗舌注意の、【沢山咸・上爻】です。今日は、心が揺れます。口には十分気をつけて!

今日の得卦【沢山咸たくざんかん・上爻】

卦辞 咸は亨る。貞に利(よろ)し。女を取るに吉。

爻辞(上爻) その輔頬舌(ほきょうぜつ)に咸ず。

咸は感と同じにみます。本来は咸は口+戈(ほこ)で、刃物で強いショックを与えて口を封じることです。そこから、封じこむ→おしなべて、みなという意味が出ました。

下に心がついて感です。心に強いショックが与えられて口をとざす意味です。

咸は感です。物に感じやすい時です。上にある沢は若い女。下にある山は若い男を意味します。互いに感じ、お互いに通じやすいときです。だから嫁を取るには吉。

男女の関係でなくても、今日人と会うなら、少し応用してみると良いでしょう。

易経では、心に感じる姿を人体の各部にたとえて、注意することを教示しています。(足の親指からたとえ始めて顔まで)

今日は、上爻ですから、一番上の顔です。輔は原義は車の添え木です。ここでは、上あごのこと。輔頬舌でしゃべる時に動かすものですね。

上爻の位置はあまり強いものではありません。しかも陰の爻。

きわめて感じやすく、すぐ口に出してしまいそうなときです。口先だけになり、誠の心が感じられないのでは相手に信用されませんね。

本来の感を大切にしましょう。心が動いた時は物も言えないぐらいです。

フォーカシングという技法では、じっくりと自分の身体の感じを味わい、そこで動いているものがどんなことをわたしに伝えたいのか、感じ取って行きます。そんな丁寧さが今日はふさわしい。

それでは、今日も一日好い日でありますように。

くんぷう

2018年12月 7日 (金)

12月7日の易経からのメッセージ【地雷復ちらいふく・六二(2爻の陰)】原点にかえって、吉。回復します。

ラッキーな卦が続きます。ハードワークでも易神さまが、大丈夫とメッセージをくださるので健康に暮らせ舞ます。マインドセットが変わってきたのでしょう。

過去記事です。

今日は、原点に返って吉の、【地雷復】です。平和の原点に返りましょう。私も、このページを書き始めた原点にもかえりたい。カウンセリングを始めた原点はぶれていないと思いますが…。

は元気・陽気がかえってくること。ここしばらく続いていた停滞気分もそろそろ、盛り返す時です。過労で倒れそうなんだけど…メッセージがあれば何とかしのげるかと思えるので不思議です。マインド・セットが変わります。

今日の得卦【地雷復ちらいふく・2爻】

卦辞 復は亨(とお)る。出入、疾(やまい)なく、朋来たりて咎なし。反復のその道、七日にして来復す。往くところ有るに利(よろ)し。

爻辞(2爻) 休(よく)復(かえ)る。吉。

復のときは、通ります。出入り自由。進退に問題ありません。

元気な友人も来て、困ることはありません。七日すれば元に返るということが、天道の反復ということです。

目的を持って進んでよろしい。

復の卦は、上卦【外卦】の地が全陰です。下卦【内卦】の雷が初爻だけ陽で2・3爻は陰です。つまり全陰の坤がきわまって、初爻に陽が返ってきた。冬至が過ぎて、一陽来復の光を浴びようとしている今です。

今日はその2爻です。休復。とは、休んで復る。ことですが「よく復(かえ)る」と読み下します。休の字は、人が木の陰でかばわれて休息する意味の字ですね。そこから、神にかばわれて、ありがたい、けっこうな、よいという意味が生まれました。

初爻の陽があなたを応援しますし、あなた自身も陽の気を受けて、元気になりそう。

今日も一日、好い日でありますように。

くんぷう

2018年12月 6日 (木)

12月6日の易経からのメッセージ【地天泰ちてんたい・六五(5爻の陰)】大吉。頭と体の交流が大切。若い人や部下に任せて吉。悩んだら、足の赴くままに動いて幸いがある。

よく逃げることができたら、天下泰平の【地天泰・5爻】をいただきました。私も今日中にいくつかの懸案が片付く予定です。若い人に任せてよい。そこから福祉(さいわい)を受けます。自分一身のことなら、外卦(上)を頭と考え、地ですから、柔軟に。内卦を天と考え、身体(足)は強く、元気な方向に。今日もラッキーですよ。

色々書きたいですが事務仕事に邁進します。

過去記事で卦辞・爻辞をどうぞ。

【地天泰ちてんたい・5爻】

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外卦(上)が地で全陰、内(下)卦が天で全陽。外は柔で内は剛。天は上に行こうとして、地は下に下がろうとして、各爻が交流し応じあいます。

こういうときが、「天地交わり、万物通ず」なのです。心の交流もあります。

今日は中心となる(王)の位置の5爻。部下に有能な人もいますから協力してやっていきましょう。一人で力む必要はありません。

周りの皆さんの幸い・福祉のために力を尽くしましょう。

今日の得卦【地天泰ちてんたい・5爻】

卦辞 泰は小往き、大来る。吉にして亨る。

爻辞(5爻) 帝乙(ていいつ)、帰妹(妹を嫁がせる)す。以って祉(さいわい)あり。元(おおいに)吉。

殷の王、帝乙がその妹を、臣下の賢者(2爻)に嫁がせた故事による。

全体を眺めてください。自分の力が足りないことを嘆くのではなく、関係者の全体が響きあうことで、幸いを得ることができる。

このところ、5爻をいただくことが多く、しかも陰の爻。力不足の自覚は十分ですが、ゆだねるという考えがまだ足りないのだなあ、と思います。福祉の祉は神が足を止めてくれる幸いです。がむしゃらな努力ではなく、響きあって認め合って、いつの間にか幸いに。

そういう発想自体がうれしいです。

今日も一日、好い日でありますように。

くんぷう

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  • ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)

    ウェスリー キング: ぼくはO・C・ダニエル (鈴木出版の児童文学―この地球を生きる子どもたち)
    この本は、2017年、ミステリー専門のエドガー賞児童図書部門を受賞しました。主人公ダニエルと共に殺人事件かもしれない謎に挑戦してワクワクしながら読み進めていけます。しかし、単純な謎解き物語ではなく、全編を覆っているのは、OCDの症状から逃れられない苦しみです。不安があると寝る前に2時間でも3時間でも儀式と呼ばれる強迫行為をしなければ就眠できないのです。ダニエルが「ザップ」と呼ぶ強迫観念が侵入してきて「○○をしろ。ダメだ。やり直せ」と命令し、ダニエルは手洗いやスイッチのオンオフ、歯磨きなどを繰り返しせざるを得ません。不合理と分かっていても止めることができません。涙を流しながら、し続ける苦悩がリアルに描かれています。作者もこの症状に苦しんだ当事者だそうです。 13歳のダニエルは、アメフトをやっているけど、とても自信がありません。蹴るだけや走るだけならできるのですが、試合でキックをする場面になるととたんに「ザップ」が襲ってくるし・・・。ある時スタメンの少年が怪我をして試合に出ざるを得なくなりました。謎解き、スポーツのヒーロー物語、異性への関心と友情が描かれ、ダニエルが密かに書き続けている「人類最後の子ども」という物語までが挿入されています。これでもかとばかりのエンターテイメント要素の投入です。作者は最後まで読んで欲しかったのですね。 OCDは、「強迫症」とも言われる病気です。子どもの有病率は2%前後とも言われています。この本の扉の裏には「OCDに向き合うあなたへ /ひとりでは見つからない希望も/助けを借りれば、かならず見つかります」と書かれています。ずっと秘密にしていたことを人に話すのには勇気がいります。OCDに苦しむ子どもにも大人にも楽しく読めて、回復への希望をもつきっかけになりそうな本です。OCDを知らない人にもこの病気について理解を深めていってほしいです。

  • エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)

    エリック ウォルターズ: リバウンド (福音館の単行本)
    これも少し前の児童書です。小学校上級から中学生くらいの人にお薦めですが、大人が読んでも面白いことは受け合います。カナダのある街に転校してきた車いすの少年デ―ヴィッドとバスケ好きの1学年上の少年ショーンのボーイ・ミ―ツ・ボーイの友情物語です。強がっていたデ―ヴィッドの心の奥底の寂しさと辛さに触れて、障害について思いを深めました。ショーンが車椅子体験をする場面もリアルです。

  • 京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)

    京谷 和幸: 車いすバスケで夢を駆けろ―元Jリーガー京谷和幸の挑戦 (ノンフィクション 知られざる世界)
    児童書です。ロンドンパラリンピックの前に出版された古い本ですが、一連のリアルつながりで、読みました。 自動車事故で脊椎損傷を負って下半身はおろか、背筋、腹筋も使えなかったサッカーJリーガーだった選手が、車椅子バスケでスポーツ選手として復活するstoryに子ども達は勇気づけられることでしょう。「夢に向かって行動を起せば、必ず出会いがある」という素的な言葉に出会いました。

  • 井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~

    井上雄彦 チームリアル 編集: リアル×リオパラリンピック ~井上雄彦、熱狂のリオへ~
    漫画家井上雄彦と取材チームが、リオ・パラリンピックの車椅子バスケを取材しました。マンガ「リアル」の登場人物たちを絡めながら、現実の試合と選手たちの姿を1冊の本にまとめてくれています。写真が素晴らしい。そして、リアルの原画もあり、選手たちのプロフィールも語りも読みごたえがありました。2020の東京パラりンピックまでに、「リアル」復活を熱望します!

  • 井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)

    井上 雄彦: リアル 1 (Young jump comics)
    暮れだったか、正月だったか?テレビで車椅子バスケの選手京谷和幸さんの特集を見ました。その粘り強さと目標に取り組む熱さに感動しました。「リアル」のモデルの一人だということが知らされ、さっそくこの漫画を手に入れました。素晴らしい漫画です。劇画中の登場人物の心情と情念が本当にリアルに描かれている。単なるスポーツ根性物語ではないです。登場人物の生き方と個性が迫ってきます。障害に向き合う姿が生々しい。リアルでありながらファンタジーも含んでいて、私はプロレスラー・スコーピオン白鳥に感動しました。プロセスを知らないおばはんを感動させる井上雄彦さんの漫画の迫力!残念ながら14巻までしか描かれていません。続きが読みたい。(息子が古本屋で既刊全て見付けてくれました)。そういえばバガボンドも途中だとか。それも息子に進められ以前に読みましたっけ。スラムダンクは読んでいません。

  • フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)

    フランシスコ・X.ストーク: マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)
    この本が出版された2013年に一度読み、今回二度目に読んで、このリストに紹介します。主人公マルセロは弁護士のお父さんと看護師のお母さんを持つ、アスペルガー障害に良く似た症状のある17歳。小学校入学以来、私立でお金がかかる障害児への支援が専門の学校パターソンに通っています。高校の最終学年を控えた夏休み、お父さんは、弁護士事務所というリアルな世界でアルバイトすることを求めます。マルセロはパターソンの農場で生まれたポニーの子馬を世話するアルバイトがしたいのですが、お父さんは強硬です。リアルな世界のアルバイトを成功裏に負えたなら最終学年までパターソンにいて良いと、交換条件を出されてしぶしぶお父さんの事務所で働くことになりました。 マルセロはオフィスの中で、衝撃的な写真に出会います。顔面の半分が削り取られている映像なのに、その子の瞳が強い思いを発して迫ってきます。直属の先輩ジャスミンと一緒にその子を探し出そうとします。ここからはミステリー仕立てですのであまり詳しくは書けません。 マルセロにとってリアルワールドとは、障害があろうとなかろうと、思春期の男性として通過しなければならない世界です。性の芽生えや、異性への関心もテーマです。一方で裁判の中で争われる正義と不正義の交錯する世界もあります。自己の実感に基づいた行動を通して世界へ関わろうとするマルセロは嘘がないという意味で最もリアルな存在かもしれません。現代アメリカが抱える貧困や差別などのリアルな現実も描かれています。 自分の思いを的確、適正な言葉で表現し、コミュニケーションに反映させたいと苦闘するマルセロが発達障害を理解する上で参考になります。私も自分の思いにぴったりした言葉を探して苦労をなさっている方々と出会っています。会話がゆっくりだから知的に劣っているわけではないのです。何も言わないからといって、何も考えていないわけでもないのです。その辺りの当事者としての在りよう(叙述)に大いに学ばされました。発達障害に関心のある方もない方も、現代アメリカ小説として「時代を映す鏡」として楽しめる作品ではないかと思います             

  • ニール・シャスタマン: 僕には世界がふたつある

    ニール・シャスタマン: 僕には世界がふたつある
    作者の後書きによると「アメリカの3世帯に1世帯は家族の中に精神疾患に悩まされてい」るそうです。翻訳者の金原瑞人さんは、訳者あとがきで「本文を全部読む前に読まないで」と書いてあります。上質のミステリーであり、ファンタジーも内包しています。読み終わった後、また初めから読み返してああ、この人があのキャラで・・・と振り返りたくなりました。私は書名からある予断をもって読み進みましたが、それでも十分に引きこまれました。当事者でなければ書けないような描写で叙述されています。それは作者が当事者家族でもあるからです。疾病と回復の物語です。今映画化が進んでいるそうです。話が進むにしたがって頭の中に映像が動きだしてきて惹きこまれます。ゲーム世代ならなおさらと思います。

  • 長谷川ひろ子・秀夫: 生死いきたひ 生前四十九日

    長谷川ひろ子・秀夫: 生死いきたひ 生前四十九日
    タイトルの「いきたひ」は、書影で見られるように本当は生と死が合体した造字で、著者が考案したものです。「生きたい」「生きた日」と読めます。生に切れ目なく死が続いていることも読み取れます。著者は同名の映画を自主制作されました。悪性リンパ腫で40代の若さで亡くなったご主人の希望でなくなる前の家族の看取りの様子を映画に撮られました。ご自宅の畳の上で亡くなられた後、4人の子どもさんと著者は朝まで添い寝をされます。その映像を中心に、後から「畳の上での看取り」「腕の中に抱えた看取り」「看取りができなかった死に向き合う」方々のインタビューなどで構成されています。死を恐れるあまり、私たちは自分の死も家族の死も本気で真剣に向き合ってこなかったなあと思います。この映画に触れ感動した人々が全国で上映会をされています。看護や医学を学ぶ人達の学校でも上映されています。私は、看取りを専門にする看護師さんから紹介されて映画を見、この本も読みました。本気で向き合わなければならない死が私の周りにもあります。ゆっくり考えています。

  • 藤井克徳・池上洋通・石川満・井上英夫 編: 生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの

    藤井克徳・池上洋通・石川満・井上英夫 編: 生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの
    2016年の相模原殺傷事件の後、衝撃を受けながらも、黙ってはいられないと、障害について深くかかわっていらっしゃる6人プラス4人の方による、深い思考と問いかけの本です。タイトルの「生きたかった」から、犯人の投げかけた差別思想に対抗する書物であることが伝わってきます。6人の執筆者は、編者の4人の他に、盲聾重複障害の東大教授福島智さんと精神科医の香山リカさんです。他に、当事者・家族・支援者の立場の方4名も思いを綴られています。福島さんが述べていらっしゃるように、今は、障害の有無にかかわらず、誰もが生きづらく感じている現代日本の社会です。今回のこの事件を自分の問題として考え続ける努力を積み重ねていきたいです。自分には無縁と思っていた優生思想とヘイトクライムのその芽が自分の中に存在しないかどうか?自己点検の目も必要です。

  • 手嶋 ひろ美: 笑われたくない! (文研ブックランド)
    主人公結花は脳性まひのある小学4年生。不自由な体を笑われたくないといつも思っています。ところがお楽しみ会の出しもので結花たちの班は、二人羽織をすることになったのです。班の男子はわざと変な食べ方をして、みんなに笑ってもらいたい。結花は一生懸命、羽織の後ろの小雪と練習して、上手に食べるところを見せたい。心の中で「笑われること」にとても抵抗があるのです。 脳性まひの人の体の不自由さからくる心の苦しさ、社会の側のバリア、周囲の無理解などが結花の視点から丁寧に描かれています。私自身も今だに笑われたくないと思うことがあります。障害があってもなくても、人と違う自分を受け入れると、笑われることなどどうでも良くなるように思いました。大切なのは自分がどう生きるかということですね。著者自身も脳性まひのある人で、車いすの自分をじろじろ見る人には、自分からにっこり笑ってみるそうです。
  • アン ブース: 霧のなかの白い犬

    アン ブース: 霧のなかの白い犬
    17年度の小学校高学年の読書感想文課題図書です。主人公たちは中学生です。おばあさんの認知症と白い犬を飼い始めること、など読み始めのアイテムには、確かに小学生も関心を持つでしょうが、読み通し、内容世界に迫るには小学生にとっては難しすぎると思いました。世界の国を知り、歴史的な知識も持ち始める中学生以上に読んでほしいです。高校生でも大人でも読みごたえはあります。ネタバレになるので、おばあさんと白い犬の関係を紹介できないし、論じられないのが残念。主人公ジェシーたちはイギリスの田舎町に住んでいます。その小さな村にも移民に職を奪われたお父さん(出稼ぎにフランスへ!)や、ダウン症の村人や、学校でのいじめ、家庭の問題など、子どもが気にせずにはいられないことが満載です。ファンタジーものにどっぷりつかっている、日本のヤングにも主人公と一緒におばあさんの子ども時代を探索する旅に同伴してほしいです。イギリスやドイツの児童文学やヤングアダルト文学が障害や戦争、平和の問題を掘り下げて描いていることにいつも感心します。70年以上前の戦争の傷跡が今を生きる人間関係に影を落としていることは、日本もアジアも同じことです。ナチスの問題を自分に関わりのあることとして考えました。

  • 伊藤亜紗: 潮新書 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか

    伊藤亜紗: 潮新書 目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか
    この著者の専門は美学や現代アーツです。ですが、元は生物学を目指していらっしゃったそうで、身体を論ずる視点が面白い。「目の見えない人は世界をどう見ているか?」もユニークな本でした。スポーツは基本的に身体条件が違う人が一定のルールの元で(公平さ)競うもの。目が見えないというハンディキャップがある人どのようなルールの元で、どのような身体の使い方をして、誰と協働して、思い切り競技・競争ができるのかを、現役アスリートへのインタビューを通して論じています。人間の身体の不思議、能力の果てしなさを思います。パラリンピック、是非観戦したいです。描かれている競技はブラインドサッカー、競泳、陸上、ゴールボールなど。

  • 古内 一絵: フラダン (Sunnyside Books)

    古内 一絵: フラダン (Sunnyside Books)
    男子が圧倒的に多い工業高校の中に女子ばかりのフラダンス愛好会がある。そこに入部した男子4人。リーダーは「フラダンス甲子園」での優勝を目指している。フラ本来の文化的意味を強く持つ男踊りを組み込んだフォーメーションを考え意欲満々。そればかりでなく、フラ愛好会「アーヌエヌエ・オハナ(虹のファミリー)」は慰問活動にも熱心に取り組んでいる。読み進むうちに笑顔が重要な要素であるフラダンスの魅力にはまる。高校生の人間模様はどこであろうと、多数派と少数派のぶつかり合いがあり、自分自身の中の青春の葛藤があるが、この物語の舞台は福島県。震災と原発事故を背景にした複雑な思いが描かれている。物語の転換点は仮設住宅への慰問でぶつけられた住民の言葉であるが、福島以外の中高生にどこまで伝わるか気にかかる。第63回読書感想文コンクールの課題図書となっている本書。原発発災の時はまだ小学生だった人達が今高校生である。風化の中でおためごかしの復興が叫ばれている。この本は楽しみながら読める痛快学園ものである。多くの高校生に手に取って欲しい。そして、今も故郷に帰還できない人達の困難と原発事故・放射能被災という現実を登場人物の苦しみを通して読み味わってほしい。(といっても既に現状はもっと進み、避難指示解除による国と電力会社の住民切り捨てが広がっている。仮設住宅は閉じられ、復興公営住宅への転居とまたまた新しい環境への適応を強いられている人達が多くいるが本書ではそれについては描かれていない)

  • 池田 晶子 睦田真司: 死と生きる―獄中哲学対話

    池田 晶子 睦田真司: 死と生きる―獄中哲学対話
    池田晶子さんと獄中死刑囚(強盗殺人犯)の往復書簡集。哲学の本は読み通すことが難しく苦労するのに、この本は短時間で読み切りました。初めは寝掛けに布団の中で睡眠薬代わりに読んでいました。中盤は、続きが読みたくて朝起き掛けに。そして、最後は事務机で姿勢を正して読みました。往復書簡は、死刑囚である睦田さんから、池田さんへのファンレターが雑誌の編集部に送られてきたことから始まりました。池田さんの著書(一連のソクラテスもの)によって、自分自身の罪と罰に向かい合い、殺した人の命の分まで「善く生きる」と決意している自分自身の死生観、今現在の哲学が述べられています。池田さんはその彼に本気で向かい合い、「甘い」としかり、罪と罰、殺すこと、死刑による死に向かい合い、もっと考えろと迫ります。池田さんの人間的な一面がよく現れていて、思わずクスリとしたりして哲学が苦手な私にも読み通す意欲を与えてくれました。二人とも理知の人で池田さんによれば良く似ているとのこと。言葉によって現象を吟味し思弁し尽くすお二人の姿を通して、いい加減な自分自身の生き方に反省が生まれます。死について考えている今だから出会った一冊です。生き方を考えるとは、死を考えることだと思います。

  • 志賀 泉: 無情の神が舞い降りる (単行本)

    志賀 泉: 無情の神が舞い降りる (単行本)
    物語の舞台は南相馬市小高(原発20キロ圏、旧避難指示区域)。あの日(2011年3月11日)から半月あまり、町に残っている人はほとんどいない。俺は町を離れなかった。瀕死の病人である母を今動かせば、即、死につながると案じて。母はゆっくりと衰弱していく。無人の町で、30年前の記憶が交錯する。俺の家はしがない床屋だけど、近くの八坂医院には、あこがれの転校生が住んでいた。彼女は孔雀を飼っていた。俺は孔雀のエサとして蛙を取って来る係だった。そして切ない悲劇が舞い降りる。今、無人になった医院の孔雀小屋に、黒犬が残されている。人間の避難に犬は連れて行けないから。痩せこけている犬に餌をやる。そうこうするうちに母が死に、黒犬はペットレスキューのボランティア女性に託される。巨大化した美しい羽でメスを呼び寄せる孔雀はうまく飛べないというリスクを背負う。原発は孔雀に似ていると俺は語る。止めようとしても止められない肥大化した姿。原発爆発後、半月経過した町の描写が心に残る、表題作。小高の街を歩くと彼に出会いそうな錯覚がする。もう1編「私のいない椅子」が収められている。こちらは、阿武隈山脈の海側、原発のすぐ近くに住んでいた女子高生が主人公。その反対側の地に避難、転校している。福島の高校生が、今を映した映画を創る物語。私の母は自分の両親を津波で失ったが、遺体捜索もできなかった(避難指示で)ゆえに海から離れられない。私は一人親戚のおばを頼って避難しているが、あの山の向こうを超えて、海辺に帰りたい。初め映を引き受けていたけど、声高に原発反対を叫ぶ映画に変容していく制作側(避難を受け入れる側)の高校生や支援の制作グループの主張に沿っていけずケンカして役を降りる。私はただ、自分の存在を映画を通して、今は散り散りになった友人たちに届けたいだけ。ロケで海辺の故郷に行くことが望みなだけ。映画は私とは無関係に進行し試写会が行われる。すでにそれは「わたしのいない椅子」になっている。私は義援金で買った新しい自転車で海辺の町に向かう(もちろん本当は帰れない町)。原発立地の町の女子高生の身になって、違和感なく物語の進行につき合っていけた。作者は小高で育ち、今は休校中の双葉高校を卒業した人。現在進行中の原発被災地の中側に立った物語。ホンの小さな話だけど、細部に神が宿る。あの事故がそこに住まう人々の暮らしと内面に何をもたらしたか?ドキュメントではなく文学で伝えられることは貴重なことと思う。

  • 中井 久夫: いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉

    中井 久夫: いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉
    著者は日本の精神科医の中でも、最も誠実に独創的に患者さんに向かい合ってこられた方だと思います。読者は、自分がお医者さんでなくても、人に向かうには、自分に向かいあい受け入れるには、どうしたらよいのか?そういった疑問を抱いて読めば、必ずヒントがもらえるようなご著書が多いです。私もずいぶん読ませていただいてきました。難しい学術書もありますが、一般書として書かれた本も奥深いのです。この本は、ご自身の子ども時の体験から今現在のいじめを受けている子どもたちに救済の言葉を紡いであります。「こころが傷つく」とはどういうことかということを、精神科医としての理解と元いじめられっ子だった体験とを合わせて子ども(小学生から高校生まで、いえ元いじめられっ子だった数々の大人にまで)にわかりやすく語りかけます。「いじめ」は「人間奴隷化」のプロセスと説明してあります。いじめの進行は、孤立化⇒無力化⇒透明化のプロセスをたどり、いつしかその場に居てもいない人になり、いじめがあっても周りに見えない状況になり、激烈ないじめが続くというその過程と構造を子どもも大人も知ってほしいです。どうしたら抜け出せるか?対策は?まずはいじめられている子の安全の確保をし、次には孤立感の解消、そして大人として、これからは決して孤立させないという保障の言葉を伝える。そのあとに、いじめられた子どもの心の傷(罪悪感、卑小感、劣等感などをふくめ)の手当てが必要です。この本を読むことは、そのための大きな手当の第一歩になることと思います。著者は60歳を過ぎて、阪神淡路大震災の傷ついた被災者に向き合う中で、自分自身の子ども時代のいじめられ体験の傷がなまなましく浮かび上がってきたと述べています。それほどに心に傷を負うことは、深く恐ろしいことなのだと改めて思いました。

  • ティク・ナット・ハン: マインドフルの奇跡―今ここにほほえむ (からだの冒険こころの冒険)

    ティク・ナット・ハン: マインドフルの奇跡―今ここにほほえむ (からだの冒険こころの冒険)
    ティク・ナット・ハンの本を紹介するならこの本を!と思って書架から取り出しここ2週間ばかり読んでいます。最初に出会ったマインドフルの本です。もう20年以上も前の出会いです。解脱を説く本です。物事、真理、現実とのかかわり方や見方を、ハン師が到達し体験した瞑想法を通して教え導いてくださいます。結局、いのちは一つ、すべてのものが繋がっているということを、実感をもって観相し、体験することが出きればよいのです。それが、呼吸を見ることであったり、互いの関わりを深く瞑想することであったりするのですが、勿論私はその入り口にも立ててはいません。ですけど、柔らかなかたり口ながら、うまずたゆまず努力すれば、体と心が安らぎ、やがては明晰な意識を保つことが出きるような生き方もできるかもしれないと希望を抱かせていただける本です。寝る前のぼんやり頭で読んで、身につくかどうか?心もとないですけど。

  • ティク・ナット・ハン: 怖れ~心の嵐を乗り越える深い智慧~

    ティク・ナット・ハン: 怖れ~心の嵐を乗り越える深い智慧~
    最近はマインドフルネスという言葉をあちらこちらで聞くようになりました。NHKでも、ストレス対処に一番有効というようなスタンスでドクターや心理士登場の番組の中で紹介されました(NHKスペシャル「シリーズキラーストレス」)。瞑想による心身の深い境地を「すべてに気づいている」という意味のこの英語に訳したのが、著者だったと、私は理解しています。ベトナム出身の大乗仏教のお坊さん。今は、フランスを中心に活動されています。たくさんの本があります。一冊読んで何かが分かったというような知識伝達の本ではなくて読みながら、自分自身の心身に適用していく実践の書です。でも、内容は深い。般若心経の、解説の本のようでもあります。叔母の死に際して、生と死や、自分自身の来た道還る道を考えている時、たまたま目の前の机の上にあり、今読みなおしています。死を畏れない。過去と未来の不安に飲み込まれない。ただ、今を生きるために怖れを優しく包み込み「マインドフルに呼吸する」ことの大切さを説く、実践の書です。

  • 中澤 正夫: 死のメンタルヘルス――最期に向けての対話 (シリーズ ここで生きる)

    中澤 正夫: 死のメンタルヘルス――最期に向けての対話 (シリーズ ここで生きる)
    著者は、椎名誠の怪しい探検隊に同行する精神科医。椎名のエッセイを楽しんでいるうちにこちらのドクターの本も出ると読んでいる。5月から刊行され始めた岩波の「シリーズここで生きる」の第1弾。新聞の大きな広告に惹かれて読んだ。ご自身の終活の話より、対談やインタビューした方々の話の方が面白い。100歳の現役精神科医の研究や治療への向き合い方に励まされた。終章に私も行っている福島関連のボランティアの話があって、ちょうどそこに行くときに読んだのでドキドキした。死への向き合い方は人さまざま、参考にはならない。むしろ生き方として参考になる。著者は何度も無宗教ということを強調している。はてさて後には何も残らないのか?そんなはずはないよねと私は思う。

  • ドリアン助川: あん (一般書)

    ドリアン助川: あん (一般書)
    この本を手に取ったとき、りーかあさまを読んだすぐ後だったので、ハンセン氏病関連が続く偶然に驚いた。意図して読んだものではない。ドリアン助川つながりで手に取った。タイトルの「あん」とは、どら焼きの「あん」のこと。千太郎はあるいきさつで小さなどら焼きのお店をまかされている。あんは既製品の缶詰を使い、その日に売れ残ったら冷凍保存して翌日新しい缶のあんと混ぜ合わせて使う。借金返済のために年中無休で一人っきりで鉄板の前で働いてもう5年になる。話し相手が欲しくて「バイト募集」の張り紙を出したら、どう見ても働くのは無理でしょうと言う感じのおばあさんが現れた。「こういう仕事をしてみたかったの」と訴える。姿は指が曲がり、左右の目の形が違っていて表情もどこかおかしい。彼女は千太郎のどら焼のあんは作った人の気持ちが感じられないと言う。持参したタッパーには極上の手作りのあんが入っていた。雇うのは無理と思いつつ、彼女のあんとゴミみたいな安い時給でよいということに惹かれて雇うことにした。それから、彼女に厳しく指導されながら、本物の小豆の扱い方を学び、手作業を覚え、彼のお店は繁盛する。読み手も千太郎のあん作りに同行しながら、あん作りの醍醐味や極意を教わったつもりになる。あずきにしっかり気持ちを向けて、小豆に働いてもらうようにというおばあさんの気合の入った言葉が心に響いてくる。そのおばあさんは、指が曲がったままというところから近くにあるハンセン氏病の施設の人ではないかという噂が広がり、お店の客足は途絶えてしまう。ハンセン氏病という病気の実態も知らず、長い間社会的隔離をされてきて療養所以外で暮らすことのかなわなかった人々がいたことなど、まるで知らない今の若い読者にとっては、半ばミステリーのような物語であろう。作中の女子中学生と共にあん作りの名人76歳の吉井徳江さんに感情移入して、いつ、どうして、なぜという、謎解きをしながら、徳江さんの生きてきた道をたどって欲しい。白いブラウスの似合う女学生が終生を療養隔離施設で過ごさなければならなかった残酷を思う。林に還っていった徳江さんの最期に泣いた。